2019/10/15(火)日記
2019/10/15(火)日記
ついに帰る日が来た、マンションのゲストルームで夜中に何回も起きて、トイレに行ってしまったが、何とか眠れて、ついに朝になり沖縄を発つときが来た。午前11時5分発の羽田行きに搭乗予定です。朝8時にはマンションを出たいと思っていたが、結局は8時半くらいになってしまった。
2か月も前から予定を立て、1か月半前くらいにKNさんに連絡したところ、13日14日両日とも、KNさんのマンションのゲストルームに泊まれる予定だった。ところが、KNさんが、うまく予約を取れなかった。マンションのゲストルーム予約は、その月の1日から始めるそうだ。10/1火曜日は、KNさんは歯科医の仕事があります。FAXでもよいと管理人から言われたので13日14日の予約を10/1にFAXしたら、1分ほど早く13日の予約をFAXで送信した人がいて、13日はその人に取られてしまった。マンションのゲストルームに泊まれるのは、14日(月)のみになってしまった。
結果的に13日(日)は自分の部屋に私を泊めることにしたそうだ。結果、大変な苦労を掛けてしまった。そして14日のゲストルームの宿泊代もKNさんが負担してくれた。返すゝも申し訳なかった。
さて今日は10月15日(火)いよいよ帰る日です。マンションの玄関前で、昨日の打ち合わせ通りにタクシー会社に電話すると、その会社では、「車出払ってて、配車できない」と言う、つれない受付の女性の言葉、とっさに機転を利かせて、「では、お宅が知っている別のタクシー会社の電話を教えてください」と言って、教えてもらい、すぐメモを取る。スマホで、その会社に電話すると、配車できることになり、2~3分でタクシーが来た。「ああ良かった。」たぶんこの時、既に8時半を少し過ぎていた。時間的にはまだ余裕があるので、別に焦ったりはしなかったが。
タクシーに乗って那覇空港に向かう道路は、朝から渋滞していた。時間は十分あるので気にも止めなかった。運転手さんが話好きな方で色々話が弾んだ。彼は一度、まったく別の仕事をしていて、定年でリタイアした後、しばらくあちこち旅行に行って、定年後の生活を楽しんでいた。でも奥さんが、飛行機恐怖症で、船でしか旅行できないので、おのずと限界があり、家でぶらぶらしていることが多くなり、時間があるので、また、働きたいと思うようになった。若い頃、2年ほどタクシーの運転手をやっていたので、2種免は持っていたそうで、また、タクシーの運転を始めたそうです。11月に群馬県に旅行に来るようなので、「寒いから、ジャンパー程度は必要だよ、どこでも売っているから、本土で買ってもいいよ」と言っておいた。
もし今度来る機会があれば、空港までバスか、モノレールを利用しよう。グーグルで探ればすぐ案内してくれるのだから。
空港に着いて、まず腹が減ったので、3階か4階のレストラン街に行った。9時頃ある店で、トーストとコーヒーを食べて、まだ早かったので、そこで大部時間をつぶした。スマホの着信を見ると、KNさんから2回電話があったので、9時過ぎに、こちらから電話をすると、まだ医院に行く前で、マンションの部屋の中にいるとのことであった。昨夜のお礼を言った。さらにタクシーは大丈夫だったか聞かれるので、履歴から電話したタクシー会社は受付のお姉ちゃんに、配車できないと言われたので、他のタクシー会社の電話番号を教えてもらい、電話したら、2~3分で来た、と返事をした。
タクシーのドライバーは、他の仕事をして定年になりリタイアしてしていたが、若い頃2年くらい、タクシーのドライバーやっていたことを思い出し、定年後再びタクシー会社で働くようになったこと。年齢が同じような方なので、楽しく話をしながら、那覇空港に着いたことを話した。
お疲れが出ないように、引っ越しの片づけなどいつやってもいいのだから、無理しないように言った。また今回、大変にお世話になったことのお礼を言って、電話を切った。
その後もその店でゆっくりしていたが、9時45分くらいに店を出て、2階の搭乗券の自動受付機に行って、2種類の番号を、この日のためにPCで予約した時(2か月前)念のため印刷しておいた紙を取り出し、見ながら、番号を入力した。すぐ搭乗券が出てきた。それをもって、3階に行き飛行機に乗せるスーツケースを預ける為、長い列に並んだ。かなり待たされたが、やっと順番が来て預けられた。
羽田のように荷物の自動受付機はなく、人力で受付をやっていたので、かなり時間を要した。その前後でお土産の追加分として、モズクの袋を3つショップで買った。
まだ搭乗時間までかなりあったが、早めに、手荷物検査、およびセキュリティチェックを受け、待合室の中に入った。搭乗受付の指定された番号の入り口付近に居て、受付が始まるのを、椅子に腰かけて待っていたが、何か気が急ぐのだろうか、早々に前の方に立って搭乗を待った。
時間が来たので、受付が実際に始まった。先に、子供の連れの方、お年寄り、妊婦、病弱な方、またプレミアム航空券を持っている人達が搭乗して行った。最後に、やっと私達一般人の受付となり機内に入った。
今回は既に2か月前に、予約していた全日空機、PCで窓側の席を取ることが出来ていたので、離陸の際充分に、窓の外の景色を見ることが出来た。これでもう沖縄とは永遠にお別れなのだろうか。それともまた来る機会はあるのだろうか。そんなことを思っていた。飛行機が離陸してから、少しの間、外の景色、島影、海など見ていたが、それらはすぐ、機体の上昇と共に、雲に隠れてしまった。
途中で一度トイレに立った。3列シートの真ん中は空いていたが、通路側の人には謝って、トイレに行く際、席をどいたりしてもらった。こればかりは止むを得ない。一度リンゴジュースを機内サービスで飲んだ。もう一杯おかわりがしたかったが、機会を失ってしまい我慢した。
いよいよ羽田が近づき、着陸態勢に入りつつあるとき、やはり羽田に着陸状態にあった別の先行する飛行機の、エンジンの中に鳥が飛び込んでしまう、バードストライクが起きた可能性があると言うアナウンスがあった。私達の飛行機は、千葉の上を通り、富津か木更津の上空を通過し、2~3回右旋回を繰り返し、上空待機をしてから、無事羽田へ着陸した。
おかげで千葉近辺の景色を、たくさんデジカメで撮影した。後で編集しなければ、やたら暇に任せて撮りまくったので。正直言って撮り過ぎ。電池は黄色点灯し、ほとんど無かったが、不思議にバチバチ撮れた。
上空から見た川は、何川だかわからないが、台風19号の影響かまだ茶色く濁っていた。19号は、土曜日12日に関東に上陸したのだった。今日は15日火曜日、台風が去ってから3日目である。後からわかったが関東の大小70以上の河川が氾濫し、90名以上の死者を出し、大災害をもたらしたモンスター台風だった。この時点ではまだ被害は確定されていなかった。
午後2時半頃、予定よりだいぶ遅れて無事羽田空港に着陸した。羽田では、出口を出るとすぐにリムジンバス乗り場があり、時刻表を見ると、八王子行きのリムジンバスが、後15分ほどで出ることが分かった。そばにいた係の女性に、スイカで乗車券を買う買い方を聞き、ちょっと離れた場所にある、自動券売機に行き、スイカで先に切符を買った。飛行機が遅れたので、もう三時近くだった。さすがに腹が空いたので、時間がなかったが、とにかく早くと思って、スーツケースをゴロゴロ引きながら、ちょっと歩くと、自動販売機のレストランがあったので、そこでペットボトルの水1本とクリームパン1個、鮭おにぎり1個を買って、慌てて、八王子行きのバスに乗り、バスの座席に座ってから、すぐ食べ始め、空腹を満たした。腹空いていたのでうまかった。バスの隣の席は、福生の何とかというタイのお寺で、3年間修業する予定で来日した、黄色いタイ独特の僧衣に身を包んだ、25~30歳くらいの、若いタイ人の坊さんであった。
後からよく考えれば、どうも日本は初めてでないらしく旅慣れていて、スイカも持っていた。私はあまり言葉も通じないので、片言の、昔、覚えた英語を思い出し、少しだけコミュニケーションができた。JR八王子で降り、そこから八高線経由で拝島に行き、そこで青梅線に乗り換え、福生で下車。福生からバスに乗ることを、片言の英語、身振り手振りを交えて教えてあげた。でも、どう考えても相手は、日本は初めてではなく、わかっていたようだった。
八王子に着いて、エレベーターで2階に上がり、JR八王子駅の改札の手前まで一緒に行き、時刻表のところ指差し、拝島1バン、ファーストライン、と声をかけてやった。しかし、どうもわかっていた見たい、乗り慣れているようだった。
私は、改札の前を、そのまま、まっすぐ南に向かって歩いて、八王子駅南口のエレベータを利用して下に降りた。
M行きのバス停まで、重いスーツケースをゴロゴロと引いてバスに乗り、駅からそれほど遠くはないバス停、Tバス停で降り、5分ほど重いスーツケースを引いて、やっと懐かしの我が家に着いた。
沖縄で、八王子の家のことを心配し、台風で被害がないように、どんなに祈ったことだろう。神様は、幸いにも、私の祈りに応えられ、天使を遣わして我が家と家内、お婆ちゃんを守り、家そのものにも、何の被害もなかった。
八王子では、多摩川の支流の浅川が、JR高尾駅近辺で少し氾濫し、周りの家と国道20号が冠水した程度で済んだ。
市内では、浅川はぎりぎりのところで氾濫を免れ、ほとんど被害はなかった。もちろん、SDA八王子教会も、信者さん達も皆無事であった。御名に栄光と感謝を帰します。
さて家に入り、荷物もそっちのけで、お婆ちゃんの居住している、1Fリビングで、少し休んだ。午後4時半を少し過ぎていた。予定よりだいぶ遅れて帰ってきた。そうこうするうちに、夕方5時も過ぎ、家内が介護ヘルパーの仕事から帰ってきた。2人にその場に座ってもらって、疲れてはいたが、2人まとめて、お土産話をした。1時間位詳しく、日程を追いながら話した。そしてお土産を広げ、紫芋のパイ、ちんすうこう、モズクを所定の人に割り振って、お婆ちゃんと家内によって、届けてもらうことにした。家内に無理言って、旅のすべての行程をまとめて聞かせたために、夕食が遅くなってしまった。
家に帰ると、また普段の日常が始まった。でもその繰り返しが、人生のほぼすべてを占めているのだし、平和で温かい家庭こそ、実は一番貴重なものであるということを、今回の、多くの人達が遭われた台風の被害を見て、教えてもらった気がする。旅行は素晴らしい体験であったが、この非日常的な楽しい経験は、単純な繰り返しに思える平穏な、変わらぬ日常があって、初めて味わえるものなんだな、とつくづく今感じている。