ヨハネによる福音書11章
ヨハネによる福音書11章
この章は、余りにも有名なラザロの復活の物語です。ラザロは死んで4日もたっていた。洞窟のような墓に入れられ、身体は腐乱が始まって、死臭が漂っており、完全に死んでいた。いわゆる仮死状態ではなかった。イエスは時間を超越しており、最初からラザロが病気で死ぬのを分かっていた。この一連の出来事は神が計画しておられるのを見抜いておられた。
イエスと弟子達は10章から、引き続きヨルダン川の下流、アイノンに、まだおられたと考えるのが妥当であろう。マルタ、マリア姉妹から使いの者が来て、ラザロが病気だからすぐに来てくれと言われても、イエスはすぐに腰を上げようとはなさらなかった。敢えて使者が来てもすぐに動かなかったのは、これは神の計画であり、イエスは最初からこの病気によってラザロが死ぬことになり、それから復活することをご存知であった。
『イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」』(ヨハネ11:4)
神の栄光の為にラザロは復活することになっており、ラザロの死でこの病気が終わることではない、すべては神のご計画のとおりであったのです。イエスは前もって予知しておられた。この事件は、自分が十字架へと導かれることになることも最初から知っておられた。ラザロは復活は、実は受難週の始まる、きっかけになったと言う視点で理解して行かねばならない。『神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受ける』と言う言葉の深い意味は、イエスが十字架にかかることによって神の栄光をあらわすことを意味しています。何故ならラザロの復活は、イエスが十字架につく導入となる事件だからです。そしてそれはイエスご自身の復活へと続いて行くのです。さらに言えばイエスを信じるすべての人達の復活の確証もこの事件を通して与えられるのです。
ラザロを復活させた後、イエスは北にある荒れ野の地方、エフライムにしばらく退くことになりますが、次の過ぎ越しの祭りには、また、エルサレムに戻ってきて、その週に十字架におかかりになります。紀元31年の過ぎ越しの祭り、金曜日の午後三時頃、イエスは十字架上で息を引き取られるのです。
ラザロを復活させたことにより多くの人々がイエスを信じるようになり、祭司長や律法学者らは、サンヒドリン議会を緊急招集し、このままではユダヤ人達は、皆イエスの信者になり、群衆はやがて、イエスをメシアとして祭り上げ、ユダヤの王としてしまうのではないかと恐れた。そして、ローマ軍がやって来てユダヤは滅ぼされてしまうと危惧した。この時代、ユダヤの王はローマの支配下にあっては、ローマ皇帝が決定する権限があるので、もし群衆がイエスを勝手に王とすれば、 明らかに反乱とみなされ、ローマ軍によって鎮圧されてしまうのです。
大祭司カヤパは預言して、一人の人(イエス)が全国民に代わって死ぬ方が良いと言い、ラザロの復活を契機に正式にイエスを捕え、殺害する計画が政治的に遂行されて行くことになります。この悪辣な計画が、正式に議会承認されて、実行に移される手筈が整ったのです。
ゆえに、前述したように、ラザロの死と復活は、イエスが十字架にかかられる、きっかけとなったのです。その現象、ラザロの、腐乱しかけた死んだ体が、新たに造られ、復活させられ、包帯を巻いたまま、墓から歩いて出て来たことは、驚異的な奇跡であるが、その霊的意味を考えると、イエスの葬りと復活の準備であったことと、捉えておかねばなるまい。これまでもイエスは何人かの死者を復活させて来た。会堂司ヤイロの12歳くらいの娘の復活(ルカ8:49~56参照)、ナインに住んでいたやもめの一人息子の葬列に出会い、棺から、死んでいた息子を生き返らせた(ルカ7:11~17参照)。しかしラザロの死とよみがえりの意味はもっと大きい。やがてイエスの十字架と復活へと繋がって行きます。言わばこれはイエスが私達の罪のために死に、やがて、義に生きるために復活することを前駆的に表していたとも言えよう。
『ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。』(ヨハネ 11:1~4)
ラザロ、マルタ、マリアが住むベタニアはエルサレムから南東へ、3キロ弱のところにあります。東のケデロンの谷を経て、オリブ山南東にある村です。エルサレムから歩けば1時間ほどで着ける距離です。イエスは後日、ここで寝泊まりし、最後のエルサレム入場をすることになります。
マルタとマリアの姉妹は、ラザロの看病で忙しく、人を遣わして、イエスに早く来てくれるように促した。しかし、イエスは最初からこの病気は、ラザロの死で終わるわけではなく、ラザロをもう一度復活させて、奇跡を行い、そのことがやがて、自分を十字架に付けて行くことになるのだと言うことを、既にこの時点で、見通しておられた。
『イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。』(ヨハネ11:5)何故この聖句が挿入されたか、ラザロの病気の話を聞いてもなお2日間同じ場所に、イエスは動かず滞在されていた。普通、親しい人、たとえば親族、父母等が重病で明日にも死にそうだということを聞けば、今やっている仕事や用事に切を付けて、取るものも取り敢えず駆けつけるではないか。それはなぜか、愛しているから、心配でしょうがないからです。ではイエスはラザロ達を愛していなかったのだろうか。そういうふうに思われたくなくて、ヨハネはわざわざ11:5に『イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。』と書いたのであろう。すぐに、ラザロのもとに行って、病気を癒してあげれば良かったのにと、誰でも思う。
私達も様々な人生で遭遇する具体的な困った場面で、イエスよ、なんでもう少し早く祈りを聞いて下さらなかったのですか、そうすればこんなことにならなかったでしょうに、と度々思うこともあります。たとえば、家庭内不和や、兄弟同士のけんか、経済的困窮、仕事の行き詰まり、財産争い、親しい人の病気、死等、そんな中でイエスを呼び求めるが、すぐ問題が解決するとは限らない。神には神の御計画があって、人間には知ることが出来ないのです。後になって、あの時、祈りが聞かれなかったのはこういうことの為だったのかと気付かされることも多い。
祈っても自分の思うように、イエスが動いて下さらなかった例として、私の経験したことを、再三再四になるが、私の記憶からは消し難い出来事なので、以下に書かせていただく。
もう今からすでに約38年前のこと、昭和61年に私が石垣島に赴任して牧師をしていた時の経験です。その島で様々なことがあり、結局私は、1年余で牧師職を辞することになります。その当時の連れ合いと後日ではあるが結果的には離婚してしまうことになる。その原因と言えば、人々に口では愛を説きながら、実際には、自分の生き方が、利己的であり、家庭のために自己を犠牲にして、私が愛の実践が出来なかったことが根本的原因です。神の掟を守ろうとしながら、表面的な肉の努力に終始し、掟の精神である、最も大事な、自分の命と時間を、神と人の為に、削って、自己犠牲をすることを見失っていた、キリスト教の根本を実行できなかった、愚かな私がそこにいたのです。
家庭を壊すことになってしまった、その事情を話せば話すほど、却って自己弁護になってしまい、別かれた人を責めることにもなりかねないし、そうなるとひいては自己を貶める結果にもなります。だからその経緯を詳しくは説明しない。
ただ、私は、ほぼ1年間一人で、石垣の教会にとどまり、宣教に牧会に、闇雲に働いていた。その間どんなに苦しく、祈ってもゝ神はお答えにならなかった。まるで祈りは、ただの独り言のように、感じられた。私の口から漏れ出て、空しく、祈りの声は天井に、跳ね返され戻ってくるような気がした。その時は、どうして神が祈りを聞いて下さらないのか分からなかった。そんな時、試練の時が、誰にでも人生の内、何度かはあるのではないだろうか。
石垣から帰って来たのが、約37年前、昭和62年5月のこと。神の導きにより、他教派のクリスチャンの局長と巡り合い、有力者であったその方の紹介で話はトントン拍子に進み、翌月の昭和62年6月23日に、八王子横山町郵便局長に任官され、局長職をさせていただけることになった。このことは、私の苦闘の祈りに答えられた、神の奇跡的な導きによる以外に考えられないことです。神の御名に栄光と感謝を帰する。詳しくは私の別のホームページ
https://ktanaka33014.wixsite.com/website リンク有 右上ブログをクリック、下にスクロール、②B信仰の軌跡 神の深い臨在を感じる時 を参照されたい。
そして、今から約8年前、28年9ヶ月の局長生活を無事勤め上げ、定年退職し、今の私がいる。
局長になってから子供を2人引き取り、しばらくして再婚し、 無事に子供を育て、その2人の子供も独立し、それぞれ家庭を持ち、孫も生まれた。約30年前に再婚した今の家内は、このような私にとって、出来過ぎの女性です。頑張り屋で、料理も上手、愛情深く2人の子供を、我が子のように可愛がり、上手に育ててくれた。再婚した相手はある牧師から紹介された同信のクリスチャンの方です。教会の用事はそんなに頑張らなくても良いのにと、傍目で思うほど優先してこなしています。彼女の信仰の表れなのであろう。
今でも下の女の子は、育ての母を、「お母さんゝ」と言って、慕っている。「私のお母さんはこの人だ」と言ってくれている。私は離婚を正当化するつもりはない。今でも思い出す度に、神の前に悔い改めて祈っている。別れた最初の相手が信仰を捨ててしまったことを聞き、イエスと教会に、もう一度心を翻して戻るよう心の中で祈るばかりです。ただ何故、神は37年前、石垣島で1年間私を一人にされ、苦闘の内に呼び掛けた祈りを聞いて下さらなかったのだろうか。未だに考えてしまうのです。もちろん、そのことは私にとって、自分の人生を考えるうえで必要だったから、敢えてお許しになったとは思っていますが。
しかし、この世の人生は幸も不幸も、過ぎ去れば一瞬に過ぎない。真摯に、悔い改め祈った結果、再び新たな目的に向かって生きることを許された以上、それが、一時は純粋に宣教を目指した本来の自分の目的とは異なっていたとしても、謙虚に、真面目に、感謝して受け取り、生きて行く以外には、他に方法はなかった。
要するに、神には神の御計画があり、有限な人間には将来を見通すことが出来ず、必ずしも私達の祈り通り、私達の願望通り現実の世界はなっては行かないのです。神がすべてを支配しておられ、万事を最善に導いて下さると言う信仰が常に必要です。『神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。』(ローマ8:28)
さて、ラザロの姉妹マリアは、『このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。』(ヨハネ11:2)とあるので、ルカ7章に出てくるマグダラのマリアであると思われます。『そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。』(ルカ7:44~50)
ヨルダン川の下流からまたエルサレムに行こうとするイエスに、この間も先生を石で撃ち殺そうとした場所へ又行かれるのですかと弟子たちは言った。しかし、イエスは弟子達に不思議なことを言われる。昼は12時間あるのだから昼の間にすべてのことをしよう、夜歩くと光がないのだから躓く。昼光の中を歩けば躓くことはない。何故このタイミングでこのような言葉を言われたのか?
闇が覆う前に昼の間、神の光が輝いている間に、神の業を成し遂げようとの意味ではないか。弟子達にとっても、人間イエスにとっても、大きな試練が近づこうとしていた。十字架で肉体を裂かれることは、肉体をもったイエスにとって、激しい苦痛であった。また、主イエスを死によって失うことは弟子達にとっても最大の試練であった。
一見闇がこの世を支配し、悪の勢力が勝利を得たように見えた。だから昼のうちに神の業をしようとイエスは言われたのだ。しかし、事実は違ったのだ。この闇の勢力がイエスを亡き者にした時、神の偉大な栄光の業が現れ、人類最大の救いの業と転化して行ったのだった。これは神のなさる誠に不思議な業であった。完全な敗北と思われたことが完全な勝利だったとは。
私達も、神が伝道のチャンスを与えて下さっているうちに、また自分が健康で神の業に参加出来るうちにやっておこう。いつ闇夜が訪れるか分からない。神のチャンスはチャンスがある時、道が開かれているうちに、機会が閉ざされないうちにやりなさいと言うことだと私は解釈する。
新型コロナの蔓延で、宗教界は大変な打撃を受けた。感染を防止するために、集まりを抑制した結果だった。最も流行した時は、教会は閉ざされ、信徒はリモートによる家庭でのビデオ礼拝に頼ることになった。多くの信者が教会に来なくなり、牧師の生活を支え、伝道の為に使われる献金が減り、教勢は一気に衰えて行った。今コロナは5類に移行し、インフルエンザと同等の扱いになったが、一度減ってしまった信者は、中々教会に戻ってこない。このような闇の時代がやって来るとは、4年前にだれが想像しただろうか。『「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」』(ヨハネ11:9~10)
『イエスは、「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」』(ヨハネ11:11)と言われた。『弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。』(同:12) 。しかし、『イエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。 』(同:14)
イエスは、既にこの時点でラザロが死んだことを予知していた。すると、あの疑い深いトマスが、復活させると言うことが信じられなかったのか、『彼のところに行こう」』(同:15)と言うイエスの言葉を勘違いして、『「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。 』(同:16)。なんとなくユーモラスなトマスの誤解はさておき、トマスはイエスと共に死のうと言うのだから大変な勇気です。
トマスは死者の復活を今までイエスと共に旅行して来て、何度か目撃してきたはずです。それでもラザロをイエスが復活させに行くことには、思い至らなかった。
伝説の域は出ないし、真偽のほどは不明だが、トマスは後にインドまで宣教し、そこで殉教死した。南インドのチェンマイのサントメ聖堂にはトマスの墓があると伝えられています。
勘違いではあるが、イエスと共に死のうと言うトマスの心意気にはビックリさせられます。大宣教者になった(伝説通りならば)その萌芽は、こんな短い言葉にも表れています。
イエスはマルタ、マリア、ラザロの三人を特に愛しておられた。週の初めの日、墓からよみがえったイエスが、最初に会ったのはこの妹のマリアであった。またその他にも、特にイエスに愛されていた弟子がいた。ヨハネによる福音書の著者、ヨハネ自身です。最後の晩餐の席で、イエスの隣にいて、イエスによりかかるようにして、過ぎ越しの祭りに食する種入れぬパンを食べていたヨハネ、自分自身をイエスの愛されている弟子と書いています。
『イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、 』(ヨハネ13:23~25)
さてここで大きな疑問が残る、イエスの愛は偏愛なのであろうか。イエスは総ての人を救うため、すべての人を偏りなく愛しておられるはずです。しかし、ここに特にイエスに愛されていた人達が登場して来た。マルタ、マリアの姉妹と、ラザロ、さらに弟子ヨハネである。これはどういうことなのであろうか、どう考えたら良いのだろう?
神の愛は、偏愛なのであろうか。
『それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄(エサウ)は弟(ヤコブ)に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。』(ローマ9:10~13)
弟ヤコブも兄エサウも2人ともイサクから生まれた子で、それも双子です(二卵性双生児)。何故?神の愛は偏愛なのだろうか。
それでは、こう考えたらどうだろうか。ヤコブもエサウも救いにあずかったのだし、救われた、救いにおいては平等であった。しかし、働きにおいては違うものがあった。弟ヤコブはイスラエル民族の根幹をなした12部族となる12人の男の子の父となった。しかし兄エサウの子孫はエドム人となった。ちなみにエドム人は一時期は隆盛を極め、死海の南の端からアカバ湾に至る東側の山地に住んでいた。様々な歴史の民族の興亡の中で、その地を追われ、ネゲブ地方に住んだ後、イドマヤやヘブロンに移り、ユダヤ人と同化し、民族としてのエドム人は紀元1世紀頃消滅してしまう。
『エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。』 (創世記25:30口語訳)
同じ、父から生まれた、双子であっても、働きにおいて違いが出た。
イエスはどんな人も愛しておられるが、ヨハネは愛の弟子として福音書や愛の書簡を書く働きにおいて優れていたし、愛されていたラザロはイエスの十字架と復活に関して、その道備えを、結果的にすることになった。
マルタとマリアとラザロは、伝説の域を出ないが、使徒行伝の時代、エルサレムで大迫害が始まった時、フランスに逃れたらしい。言い伝えでは、3兄妹は、マルセイユの近くのサント・マリー・ド・ラ・メールにたどり着き、マリアはそこで宣教をなし、多くの人々をキリストに導き、最後の生涯を、サント・ボームの洞窟を住みかとし、一生を忠実なイエスの僕としての生活を送った。その遺体はフランスの北東部にある町メッスのサン・マキシマン教会にに保存されており、最近になってその頭蓋骨から、最新の技術で、生きていた時の顔が再現されています。しかし、マリアの身体と言われるものが、一部の部分も含めて、全世界5か所ほどにあるそうですから、真実かどうかは分かりませんし、あくまでも伝説だととらえるべきでしょう。
『すべての人を救う神の恵みが現れた。』 (テトス2:11口語訳)イエスは総ての人が救いにあずかれるよう愛しておられるが、働きにおいて特に選び別った人がいます。救いにおいては魂は皆平等であるが、働きにおいては、特に神の選びがあるのです。この問題はそのように考えて行くと、私自身、頭が整理されて、スッキリします。
『同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである。」』(ローマ4:6~8)
ダビデは働きが無くても、ただキリストの贖いのみを、心から信じて、自己の罪が帳消しにされ、救われた人の幸について言っています。救いに至る人全員が、働きによって神の救いを得るのではない。ただ、神の恵みにより、恵みを有難く感謝して受け取る信仰によってのみ救われるのです。この意味で神の前には皆平等です。
しかし神の働きを推進させるため、偉大な指導的立場を、普通の信者にはない賜物を伴って、特別に召されて、立てられる人もいるのです。
『マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」』(ヨハネ11:20~27)
マルタは世の終わりにイエスを信じるすべての者が墓からもう一度復活させられる信仰は持っていた。しかし、イエスはラザロを今、すぐ目の前で復活させられる予定であった。もちろん、これはこの世の命への復活であって、復活し生き返ったラザロも、やがては歳をとって、もう一度死ぬことになるのは、しかたのないないことであった。この世の命は仮の命である。よみがえらされたラザロもやがては死に、会堂司ヤイロの娘も、ナインのやもめの一人息子も生き返ったが、やがては歳をとって死んでいった。 これらの人々はこの世の命に、言わば仮に復活したが、永遠の命への真の復活ではなかったことに留意しよう。これらの人々にはもう一回永遠の命への復活が用意されている。
マルタはマリアを呼びに行った。先生があなたを呼んでおられますと、周りの人には、聞こえないように、耳のそばで小声で言ったので、村人はマリヤが、どこかに泣きに行くかと思ってついて行った。イエスに会うなりマリアは足下にひれ伏し、イエスがいて下されば、ラザロは死なずにすんで、病も癒されたでしょうにと言って、泣いた。
ここでイエスは、何か非常に興奮され、憤っておられる様子だ。イエスは何に興奮され、誰に憤られたのであろうか。また涙を流されたとある。ラザロをもう一度生き返らせるのは、イエスにとってハッキリしていたことであったのに、ただイエスはラザロの死が悲しくて、涙を流されたのであろうか。どうもこの場面は、そのように普通に考えては腑に落ちないのです。イエスは単純にラザロの死を悲しんだのではなく、死と言う現象に囚われうろたえている、人間の姿そのものに、大きな憤りと、同時に涙を流すほどの憐み、人間としての同族の悲哀を感じていたのではないだろうか。
ラザロが死ぬことは、イエスの計画にとって、既にその予定表に織り込み済みではなかったのか。ラザロの病を癒すために、早く来て下さいとの使者を迎えてから、さらに2日もヨルダン川の下流に滞在していたではないか。ラザロに会いに行く前に既にラザロは死んだのだと知っていたではないか。さて、何がイエスの涙を誘い、興奮させ、憤慨させたのか。
それは、死そのものの存在だった。人類はアダムとエバから生まれ分かれて来た。アダムが造られ、エバが造られた時、人類が死ぬことは神の本来の計画ではなかったはずです。天使たちのように死を経験せず、神の被造物が永遠に神をほめたたえ、幸せに生活できることが、本来の神の御計画だったはずです。ところが、蛇(サタン)の誘惑で、アダムとエバが、父なる神の御言葉に背き、禁断の木の実を食べることによって、突然、死は罪の結果としてやって来た。アダムは、堕罪後、エデンの園を追い出されてからもすぐに死ぬことはなく、それから930年も生きたが、結局は最後には死ぬこととなり、時が来て墓に葬られた。
失楽園後、最初に死んだのは次男アベルであった。アベルは長男カインの嫉妬心によって、カインに刺殺されてしまった。カインが自分で作った農作物、すなわち、自己の行いによる義を象徴するカインの献げ物は神に受け入れられず、キリストの犠牲を象徴した、信仰による義を表す、羊を屠ったアベルの献げ物が神によって受け入れられた。これがカインの抱いた弟に対する嫉妬心の原因であった。
アダムは、長男が人類最初の殺人者になり、次男が自分よりずっと先に死んでしまった時、自分が禁断の木の実を食べて、神に背いた罪と言うものがどんな結果をもたらしたか、死がどんなものであるか、その恐ろしさをまざまざと見せられたのであった。アダムは自分の犯した罪と、その結果の死を経験し、どんなに悔やんだことであろうか。
何れにせよ、死は本来の神の計画ではなかったはずだ。その侵入者である罪、その結果である死、そのものを、イエスは征服するために地上に来られたのだ。
神は命の源、その命から離れ、遠ざかれば遠ざかるほど、死が近づいて来る。光を避ければ、闇が覆う。罪とは空極的には、善悪の問題ではなく(善悪もあるだろうが)神から離れること、自分の力だけで生きれると思い、自己の正しさを主張して生きて行く生き方ではないか。その行き着く先は、どんなに足掻いても、死であり、もっと深い意味での滅亡でしかないのだ。
自分の非を認め、神の前に己の身を低くし、神の義を慕い求め、イエスの完成された救いの義を、自分の身に纏うこと、これ以外の救いがあるだろうか。
本来人間に計画されていた永遠の命が与えられていた状態に戻すために、イエスは天において、神の右に座しておられた地位を一時的にお捨てになり、地上にやって来て、十字架によって人間の罪深い滅ぶべき肉を、ご自身の肉を裂かれることによって処断された。
『肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。』 (ローマ8:3)。
このことによって死と滅びを抹消し、人類の代表、第二のアダムとして、ご自身が墓から復活することによって、人類に再び永遠の命を回復された。イエスを信じる者が、復活の力の栄光に今、少しでもあずかれるようになった。キリストが復活した結果、その影響は全世界に及び、義の支配が始まった(ローマ4:24~25,5:14~21参照)。この点について少し説明不足を補うと、イエスが復活したことは、罪と死の支配に対する勝利であった。第一のアダムの影響によって(アダムの罪によって)、連帯責任のような形で自動的に罪と死の支配に定められた人間。遺伝的にも堕落した罪の傾向がますます強くなってきた人間。第二のアダムであるキリストの復活の力により、義の支配がそのような者たちに回復された。その復活の影響力は、第一のアダムの死の支配の影響力よりも、遥かに優って、人間を現に支配して下さるようになったのです。この場合自動的ではなく、キリストのなされたことを、真心から信じなければならないですが。
しかし、今の現実はどうか?死によって振り回され、復活を信じるどころか、死を目の前にして、ドタバタ、右往左往している人間が目の前にいる。ラザロの死は、死そのものを象徴している。死そのものの見本です。死によってマリアも泣き崩れ、周りの人々も、悲嘆に暮れている。
『しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。』(ヨハネ11:37) 生まれつきの盲人の眼を開けた大いなる奇跡を行った方も、ラザロを死なないようには出来なかったと、イエスを見くびる者もいたのです。
死にうろたえ、現実の表面的な肉の世界しか見えず、神の永遠の命の付与を見えなくしている現実と不信仰があります。この真相に、イエスは憤りを覚え、あまりの死の深淵が、人々を狼狽させている現実を見て、死そのものに対して涙を流されたのではないか。『心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。 イエスは涙を流された。 ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。』(ヨハネ33~36)
イエスはわたしは天と地と万物を創造し、永遠の昔から父なる神と共にいて、総てを支配し、命そのものの根源である。土と塵から人間を造り、そして命の息を吹きかけた張本人であるのだ。その命の根源であるイエスが、ここにいるのに、何故あなた方は、復活させる私の力を信ぜず、周りの群衆も、マルタもマリアも、皆泣き、嘆き、うろたえているのか。
死の深淵に対して、イエスは憤られ、涙を流されたのだ。死に翻弄され、やがて、この墓の周りにいる、マルタとマリアも含めて、総ての人がいつかは寿命を終えて、死んで行くこと、土に帰って行く現実に涙を流されたのではないだろうか。
真相、人生に隠された真相を見よ。今すぐそばに居る、肉眼では見えないが、あなたの傍らに立っている永遠の命を持っておられるお方、イエスを、霊の眼で見よ。命そのもののお方がここにおられる。余りにも人生の表面的なことしか見ることが出来ず、うろたえ、死に嘆いている人々よ(書いている私も含めて、皆人間はいつかは骸となり、墓に葬られて行く定め)。実はこれは今の自分達のことではないのか。イエスは今そんな私達に対して、表面的な死と言う、人として避けられない事実に心を乱されるのではなく、ある意味死を達観して生きることを願っておられる。
今心の底から主よ信じます、愚かな、肉の用事ばかりに囚われ、永遠の命を見ることが出来ない、私の不信仰をお救い下さいと、心から祈る時、瞬時にして、今この時点で、場所はどこであろうと、尽きることのない命を信仰によって与えられる。命の源であるイエスにあって、永遠の命に今あずかることをイエスは求めておられるのです。人生の取り巻いている、総ての肉の用事、肉の享楽、趣味等に重点を多く費やす傾向、その他諸々の出来事から解放され、自分と言う殻から突き抜けてしまって、聖霊に満たされて、イエスと共に歩みなさい、こう言われているような気がするのです。
『はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。』(ヨハネ6:47)『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。』(同6:54)このことをハッキリ肝に銘じておこう。人間の日常生活の生き死には、私達にとって重いものであり、軽視はできないが、表層の現象に囚われて本質を見失うようであってはならないのです。
イエスは、死の真相を明らかにし、憤っておられる。私は死を解決した。今、あなたは私が御名のゆえに与えることが出来る、永遠の命、復活を受け取ることが出来る。信じる者は既に永遠の命を得ているのだから、ただ信ぜよと。
しかし、そうは言われても、私達は普通の人間と変わりなく、笑い、悲しみ、食べ、働き、寝て、歳を重ねている。この私達のどこに永遠の命が始まっていることが感じ取れるのか?これはしばし日常から離れて、自分のどこに永遠の命が始まっているか、深く祈りのうちに瞑想しなければならない課題です。静かに聖霊とイエスの助けにより、想いを天に向け、自分がすでに霊的には復活し、天においてキリストと父なる神に謁(まみえ)て居ることを瞑想しよう。それは決して無駄な時間ではなく、天の雰囲気を味わい、賛美のうちに喜びをもって過ごせる、甘美な時間になる。私は神秘主義者ではないが、日常の出来事に余りにも囚われ過ぎている、現代クリスチャンにとって、このことは必要な時間だと思う。
イエスは天の父に信頼を持って祈る。天の父はいつもイエスの願いを聞いて下さっている。そして父が、自分を人類の救いの為にこの時代に、ベタニアのこのラザロの墓の前に、お遣わしになったことを自覚しておられた。そのことを周りの人々に信じさせるためにこの奇跡を父なる神が行って下さることを祈り願い、いつも神が願いを聞いて下さることを先に感謝し、感謝の言葉を祈りの一番先に唱えられた。
天地創造の時に発せられた、同じ御言葉が、イエスの口から、発せられた。『「ラザロ、出て来なさい」』(ヨハネ11:43)大声で言われると、死後4日たち、腐乱が始まって、死臭が漂っていたラザロの肉体が、たちどころに、権威ある神の子の言葉の命令に従って、新たに造り変えられた。命が生じ、腐臭は消え、新たに新鮮な肉体が造られ、止まっていた心臓は動き出し、フレシュな血液が全身に送られた。ラザロは包帯が巻かれたまま、死の床からよみがえり、既に石の蓋がとりのけられていた、洞穴のような墓の入り口から、一歩ゝ足を踏みしめながら出て来た。
偉大な奇跡が起きた。イエスが神の子でありメシアであることを証明する、正真正銘の奇跡が目の前で起こった。人々のイエスに対する見方が変わった。やはりこの方は救い主、メシアであられた。多くの人が、この奇跡を見て驚愕した。周りにいた奇跡を見た人達は、その神の驚くべき業を見て、神をほめたたえ、イエスを神の子、メシア、救い主として信じるようになった。
しかし人々の中には、ファリサイ派の人達に、イエスのしたことを告げ口する者もいた。これらの人々は、当時の律法学者やファリサイ派の人達から、イエスの言動を探るために遣わされていた、今で言えばスパイではなかったかと思われる。
その報告を聞いて、ファリサイ人、律法学者、祭司からなる、当時のユダヤの指導者達は、自分達の地位や名誉が危うくなることを恐れ、サンヒドリン議会を緊急招集して、ラザロ復活事件の対策を講じることになった。
今まで、イエスは何度も石を投げられそうになり、殺されそうになったが、まだ神の時は来ていなかったので、父なる神はそれを許されなかった。しかし、今回は違う、いよいよイエスを殺害するために、正式に行政機関が動き出したのであった。
この年の、大祭司の役職であったカヤパは、一人の人が全国民の為に死ぬことは、ローマ軍がやって来て、全国民を滅ぼし、神殿や聖所を破壊してしまうより良い、と発言した。イエスをメシア、この世の新しい王として、群衆がその信者になって、祭り上げることを彼らは恐れていた。今の政治秩序が崩されて行くとき、必ずローマ軍がやって来て、この微妙なユダヤの自治的平和は崩されてしまうだろうと彼らは感じていた。イエスをローマ皇帝の許可なくして、勝手に民衆が王として祭り上げるならば、反乱とみなされ、世界最強の軍隊であるローマ正規軍が派遣されてきて、ユダヤはアッという間に滅ぼされてしまうのだ。
ローマの属州には2種類あって、比較的安定していた文官で治められる元老院属州と駐屯軍が配置され治める形の皇帝属州があった。
紀元6年にユダヤは皇帝属州となったが、皇帝の直轄ではなく、属州シリアの総督が統治するという間接的な属州であった。なぜこのような形をとったかについては、ユダヤをいつかは独立国家として戻してやりたいと言う、当時のローマの政治的配慮だったと言う説もある。しかし、後年、ユダヤの政情不安から、皇帝属州に変更されて行く。
駐屯軍も、ユダヤ人達を刺激しないように、本拠地はカイサリアに置かれた(使徒行伝23:33参照)。
有名なローマ軍団にも2種類あった。一つはローマ市民権を持つ者で構成された正規の軍団(レギオー)ともう一つはローマ市民権を持たない属州の兵士で構成される支援軍(アウクシリア)があった。当時ユダヤに駐留していたのは属州出身者からなる支援軍であった。
元老院属州には貴族が責任者として派遣されたが、皇帝属州には騎士階級から責任者が派遣された。ユダヤ総督ピラトは騎士階級の出だった 。
ピラトは、紀元27年頃にユダヤの総督に任命され、イエスの処刑(紀元31年)後5年たった、紀元36年にユダヤ総督の職を解任される。イエスの十字架の事件、その後のユダヤ人の大量のキリスト教徒への改宗、また、その後に起きたユダヤ教徒とキリスト教徒の間に生じたエルサレム地区の社会的な混乱を抑えられなかったことを、当時のローマ皇帝ティベリウスがピラトの職務不履行として判断し、裁かれるためにピラトはローマに送還されてしまう。
ローマから派遣されたユダヤ総督ピラトの下、ユダヤ人の信仰は、かなり迫害されてはいたが、ある程度の自治は与えられていたようだ。総督ピラトが聖所を汚すような、乱暴をしたことが記録されているので、ユダヤ人にとってピラトは良い総督とは決して言えない存在ではあった。領主ヘロデ・アンティパスとピラトは、互いに敵対していた。そんな二人がイエスの十字架にかかる時の一連の事件で仲良くなったとは皮肉なことだ。『ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。』 (ルカ23:11~12)
『ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。』(ルカ13:1) 見逃しがちの聖句です。何の罪かは書かれてないからわからないが、多分政治的な反乱を企んだガリラヤ出身者をピラトが死刑にしたのであろう。それにしても、聖所で捧げる羊の血に人間の血を混ぜて捧げさせた。ユダヤ人にとって聖なる儀式に、とんでもないことをやらせたものだ。ピラトはユダヤの宗教に対する最大限の嫌がらせを、彼なりに考えてしたのであろう。
ユダヤ人に許されていた平和は、微妙なバランスの上に築かれた平和であった。ローマが強制した秩序に反し、税を納めることを止め、ローマが承認した王以外の人を勝手に王にして、逆らえば、 当時世界を征服した最強の軍団、ローマ正規軍が遠征してきて、ひとたまりもなく、小国ユダヤは破壊され滅ぼされてしまうのは自明の理であった。ユダヤの指導者達にはそのことがわかっていた。
平時であっても、ローマからはユダヤ駐屯軍が派遣されており、イエスの宣教当時は領主にヘロデ・アンティパス、さらにパウロが活躍した時には、ヘロデ・アグリッパ2世(使徒行伝26:1参照)はいるものの、ローマの支配に屈していた。
実際、イエスが十字架にかかられてから、約40年後、紀元70年にはそのような事態になり、将軍ティトゥス(後にローマ皇帝-紀元79~81年)率いる、ローマの第5、10、12、15軍団(一軍団は約6,000人)によってユダヤの国は滅ぼされ、イスラエル民族は国を失い、流浪の民となり、1948年に現代イスラエル国家が再建されるまで、ユダヤ人はこの時から約1,900年間、大きな苦難を味わうことになる。
ヨーロッパの国々には、ユダヤ人居住区(ゲットー)があり、そこで、劣悪な環境と、差別の中で、ユダヤ人達は辛酸を舐めて来たことは歴史が証言するところです。
『すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。』(マタイ27:25口語訳)とあるように、ユダヤ人は主イエスを十字架につけた民族として、迫害されるようになって行った。しかし、そのことはまだこれから未来に起こることです。
ラザロ復活事件を契機に、議会が緊急招集され、イエス逮捕の決議がなされ、以後、政治的な策略が巡らされ、ハッキリした方針をもって、イエス殺害計画が進められて行く。彼らは、次の過ぎ越しの祭りにイエスがまたエルサレムに来ないかと手ぐすねを引いて待っていた。ユダヤ中に、イエスの居所を知る者は届け出よとの布れを出していた。どうしても今回はイエスを正式に逮捕する計画であった。
イエスはもはや、エルサレム近辺で宣教活動は出来なくなり、荒れ野に近い地方、エフライム(エルサレムから北へ20キロ)に退いて、弟子達と共に滞在することになった。