ヨハネ第三の手紙
ヨハネ第三の手紙
ヨハネ第三の手紙は公同書簡に分類されてはいるが、ヨハネが愛する弟子ガイオに宛てた、個人書簡です。
ヨハネは弟子ガイオを愛し、いつも彼の信仰の成長のために祈っていた。ガイオは使徒ヨハネの愛に応えて立派な信仰を持ち、兄弟たちからも評判の良い人間だった。
ガイオは愛の人で、特に福音宣教のために旅に出た信仰の兄弟達の面倒を見ていた。これらの宣教者は貧しく経済的には困窮していた。彼らはただ主の御名を宣べ伝えるために旅に出かけたのです。異邦人の誰も彼らを援助することがなかったのです。
『この人たちは、御名のために旅に出た人で、異邦人からは何ももらっていません。だから、わたしたちはこのような人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。』(ヨハネ第三1:7~8)
2,000年前の旅は、現代から考えるならば大変な困難を伴いました。基本的には徒歩であり、宿がいつもあったとは限りません。野宿することも多かったことでしょう。途中で病気になったり、盗賊や、怪我などたくさんの危険が伴ったことでしょう。今、私達が観光旅行をする時のような、優雅なホテルもなく、交通手段もなかったのです。ガイオはそのような主の名を宣べ伝えるために旅に出た兄弟たちを手厚くもてなし、食事を与え、宿泊するところを提供していたと考えられます。彼が直接宣教の業に携わっていなかったとしても、これらの彼の善行によって、キリストを宣べ伝えるお手伝いをしていたのです。『そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。』(同1:8)
私達もそうではありませんか。教会の牧師等をサポートすることによって、自分は宣教していなかったとしても、その親切な行いが、主の使命者を助け、結局宣教のお手伝いをしたことになるのです。私達の持っている、神からいただいた賜物は、様々なものがあり、それぞれ得意分野、自分のできる範囲の中で、ご奉仕すれば、それはそれで、たとえ小さな働きであっても、尊い働きなのです。私の著述活動もそのような小さな働きの一つとして主が見なして下されば幸いなことです。もちろん働きによって救われるわけではありません、そのことは十分承知しております。
このことについては、『同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のように讃えています。「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである。」』(ローマ3:6~8)。
パウロはローマ人への手紙の中で何の働きもなく、善い行いもなく救われた人の幸せについてダビデの言葉を引用したのです。
ヨハネはガイオを愛し、彼のために、あらゆる神の祝福を祈り求めていました。その祈りの中に彼の健康のために祈ったことが明確に書かれています。『愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。』 (ヨハネ第三 1:2) 魂が恵まれる、それは第一のことです。霊的生活が豊かでなくては、総てが貧相になってしまいます。まずキリストの御霊を豊かに受けて、霊的に祝福されることが必要です。『すべての面で恵まれ』ともあります。家庭も円満で、社会的地位も良く、経済的にも恵まれ、多少の余裕がある、こんな理想的な恵みの中で生きたいものです。そして、肉的な健康も大事なことです。体が調子が良く元気でなくては、霊的な生活にもマイナスの影響が出てきてしまいます。心と体は繋がっているからです。
隣人の健康のために祈ることは重要な祈りのテーマです。私達の肉体は弱く、何かあればすぐ健康を害してします。人間の生活の中で、一番大事なものは、お金でもなく、名誉でもなく、学問や、仕事でもなく、健康でありましょう。健康でさえあれば、多少の経済的困窮や、仕事の行き詰まり、家庭内のいざこざなど、乗り越えることができます。健康でなくては、何もできなくなってしまいます。お金も財産も家庭も仕事も、そこで働き、食べ笑い、娯楽に興じ、将来を夢見ての計画も、すべての営みは、健康であればこそではないですか。
まして2,000年前の話です。良い医者もなければ、科学的知識もありません。健康がなくては何にもできなかったでしょう。ヨハネはいつもガイオのことを心配し、『あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるように』(同1:2)とイエスの名によって、祈っていたのでした。
『兄弟たちが来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、わたしは非常に喜んでいます。実際、あなたは真理に歩んでいるのです。自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません。』(同1:3~4) ガイオの所属していた教会(たぶんコリントの教会)から、同信の友が来て、ヨハネにガイオの様子を知らせていたようです。ヨハネは弟子ガイオが真理に真っ直ぐ歩んでいることを知り、大変喜びました。ガイオがキリストにしっかり結ばれ、兄弟を助け、生き生きとした信仰生活を送っていることが分かって、安心したのでした。
私達も友がしっかり信仰に立って、善き奉仕をし、元気に教会に通い、信仰の土台であるイエスにしっかりと結びついて、生活を送っていることを耳にし、また目にすることほど大きな喜びはありません。逆に、親しい信仰の友が、何十年か行き来が途絶えた後、教会から離れ、信仰もどうなっているかわからないような状態になり、遂にイエスを捨て、教会からも去ってしまったのを、風の便りに耳にするとき、驚き、悲しみ、嘆き、心は残念な思いに満たされます。
教会組織は神の定められた、この世における伝道の機関として、大事な役割があります。私は、この世における教会組織を否定するようなことはしません。教会はどんなに不完全な状態であろうと、この世においては、イエスの身体を象徴しています。頭はイエスに喩えられ、教会はイエスの身体に喩えられています。聖書にはハッキリとした位置づけがなされています。『また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。』(コロサイ1:18)、(コリント第一の手紙12章参照)。 しかし、教会生活には時々思わぬことが起こります。教会はイエスを信じる者の集まりとは言え、人間の集まりであることに変わりはありません。人間の中には様々な個性の人がいて、時々大変な問題が起こるのです。それは主に、クリスチャン仲間の中で、自我が強く、自己主張が顕著な人によって引き起こされます。自分を特別な者と考え、群れを支配して行きます。全くこの世の権力者と同じような思考パターンを持った人間が現れると、教会には大きな問題が起きるのです。
自分の権勢欲を欲しいままにし、兄弟の上に立ち、権力を振り回し、教会の救霊すら妨げる人が残念ながら時々出て来るのです。救いを提供するどころか、その悪辣な権勢欲に駆られて、求道する者や、真面目な教会員すら教会から追い出してしまう不埒な輩が時として出現するのです。こんな状態の教会を私は、若い頃牧師をしていたとき、何度か見てきました。誠に残念な限りです。真に聖霊によって生まれ変わっていない兄弟が、単にこの世的な肉の能力のゆえに教会の信徒の指導者として立つとき、それは大変な害を教会に与えます。教会の成長はそこでストップしてしまうのです。牧師ですら、その横柄な信徒に対して文句も言えず、媚び諂うことになります。これは自分自身の牧会経験の失敗を赤裸々に言っているのです。今、私が通っているSDA八王子教会がそうであると言っているのではないのでその辺は誤解しないで下さい。
何れにせよこの手紙が紀元80年代後半に書かれたとすると、ヨハネはかなり高齢になっていたと思われます。75~80歳位になっていたと推測できます。ガイオの属する教会にディオトレフェスと言う、大変教会に害を与えるこの世的な実力者が出て来たのです。もしここで言われているガイオが、パウロがコリントの第1回目伝道の時(紀元50年頃)自身でバプテスマを授けたあのガイオであるとしたら『クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。』 (コリント第一1:14)、ガイオはコリントの教会の信者であり、ディオトレフェスなる怪人物もコリントの信者の中の一人であったと推測されます。
あのパウロが生存時、涙ながらに教会内のゴタゴタを諫めたコリントの教会で再び何が起こったのでしょう?かの権勢欲に憑りつかれたディオトレフェスが、コリントで教会を乱していたのではないでしょうか?
パウロの死後(紀元67年)20数年たち、また同じような教会の権力争いをめぐる揉め事が、コリント教会で起きていたのでしょうか?もちろん、これは私の憶測であって、歴史的な事実ではないですので、その辺は割り引いて考えて下さい。
ガイオは新約聖書に三人出てくるので(マケドニアのガイオ...使徒19:29、デルベのガイオ...使徒20:4、コリントのガイオ...ローマ16:23、コリント第一1:14)全部が同一人物とは限らない。例えばヨハネの兄弟ヤコブと、イエスの兄弟ヤコブが同名であったように。
しかし、ガイオがコリントの教会の初穂であったクリスポとガイオのガイオであった可能性はあります。商業都市コリントの教会員は比較的豊かな信者が多かったので、彼が旅人をもてなし、多くの宣教者の世話をして、親切にすることができた、豊かな財政的余裕があったと考えられます。
コリント教会の家主ガイオが、ヨハネの愛する弟子ガイオと同じ人物であったと私は解釈します。
『わたし(パウロ)とこちらの教会(コリント教会)全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。』(ローマ16:23) このガイオと考えてもおかしくはない。
何よりも残念なことは(あくまでも私の推測であるが)、パウロ没後20数年後、このヨハネ第三の手紙が書かれた紀元80年代後半、またコリント教会では揉め事が起きたことと思われます。今回は一人の権勢欲に憑りつかれた、『指導者になりたがっているディオトレフェスは、わたしたちを受け入れません。』(ヨハネ第三1:9)ディオトレフェスなる一人の人物がコリント教会にいたので、エペソにいたヨハネ自らが、コリントに出向いて、彼の悪行を指摘するつもりでいたのでしょう。
『わたしは教会に(コリント教会)少しばかり書き送りました。ところが、指導者になりたがっているディオトレフェスは、わたしたちを受け入れません。だから、そちらに行ったとき、彼のしていることを指摘しようと思います。彼は、悪意に満ちた言葉でわたしたちをそしるばかりか、兄弟たちを受け入れず、受け入れようとする人たちの邪魔をし、教会から追い出しています。』(ヨハネ第三9~10)
すべてこれは、私の想像を含む、仮の話ですが、ヨハネはこの時70代後半か80歳位、当時としてはかなり高齢で、このとき小アジアのエペソに住んでいました。ガイオが住んでいたアカイアのコリントまでは、エペソから船便があるものの、かなり遠方であり、ディオトレフェスを矯正しに、本当にコリント教会まで、ヨハネは行けたのであろうか?もし行けたとしても、高齢者にとっては長旅であり、かなり大変なことだっただろう。
さらにヨハネはエペソより南に位置する、パトモスという火山島に島流しにされ、そこで主から幻を見せられヨハネ黙示録を書いたと言われています。ヨハネ黙示録、ヨハネ第一、第二、第三の手紙が紀元80年代後半から90年代にかけて書かれたことは間違いないようだが、その正確な執筆年代は諸説あり、分からない。伝承によればヨハネはパトモスの幽閉生活から解放され、エペソに戻りそこで生涯を閉じた。真偽のほどは不明だが、エペソの遺跡には使徒ヨハネの墓がある。12弟子のうち、殉教死を免れ、生涯を全うできたのは、愛の使徒と呼ばれるヨハネだけであった。
兄弟を赦し、愛すことが大事なことは、ヨハネの著作を見れば分かります。しかし、この教会の運営に害を与える人物ディオトレフェスを排除することは、また愛とは別問題です。組織は組織を維持するために、「何でも、いいよ、いいよ」は通りません。「ダメなものはダメ」と、ハッキリさせなければならないのです。人から恨まれようと、厳し過ぎると、非難されようと為すべきことは、為さなければならないのです。組織の正常な機能を維持するためには、泣いて馬謖を斬ることもしなければならないこともあるのです。それが管理者と言うものです。それは組織を維持し、健全に保つためにはやむを得ないことなのです。
人生の艱難、辛苦を経て、今は私も心底から神の前に悔い改め、若い頃の生き方を深く反省しています。73歳になった今になって、人を愛することは、結局自分の命を、隣人のために捨てて行くこと、あるいは自分の命を形成する時間を削って行くことなんだなと気が付いたのです。
神のためと人のため、自分の命と時間を削って生きて行くことが、神の戒めが求めていることなのだなと、やっと悟ることが出来ました。ただ、それは自分の力では出来ません。聖霊によって、目には見えませんが、私達の心の中に来て、住んで生きていらっしゃるイエスの臨在を自覚することがその力の源なのです。
こんなに、ひどい、非力で醜い私に、キリストが宿って、共にいて下さるということが聖書のお約束なのです。愛のお力を与えて下さることによって、いつも、私を新たに造り変えてくれるように、祈って毎日を過ごしています(イザヤ書40章41章のお約束をお読み下さい)。
さて、もう一人の人物がヨハネ第三の手紙には出てきます。
『愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見倣ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です。デメトリオについては、あらゆる人と真理そのものの証しがあります。わたしたちもまた証しします。そして、あなたは、わたしたちの証しが真実であることを知っています。』(ヨハネ第三1:11~12)
デメトリオは文脈から見ると、すべての人が見習わなくてはならないほどの、善い人物であったようです。
ここで、使徒行伝に出てくる、同性のもう一人のデメトリオがどんな人物か見て見ましょう。
『デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。』(使徒行伝19:24~29)
この事件のあったのは、紀元55年頃、パウロの第三次伝道旅行のときです。
偶像の銀模型を作製して、販売することによって金儲けしていた、デメトリオは、エペソでパウロが偶像崇拝をするなと、説きまわるので、彼の作製した、銀細工が売れなくなり、商売が儲からなくなり、パウロの宣教をやめさせようとします。デメトリオはエペソでの騒動を引き起こした、パウロを迫害した張本人であるので、ヨハネ第三の手紙で出てくる善人のデメトリオとは別人のようです。
しかしヨハネ第三の手紙は、エペソで書かれたとして、銀細工人デメトリオもエペソ在住ですから、もしかするとこの二人は同一人物かも知れません。もし、そうだとして、想像を逞しくしますと、紀元55年頃、アルテミス神殿をめぐり大騒動を起こす原因となったエペソの銀細工人デメトリオが、30数年後、紀元80年代後半には、悔い改めて、キリスト教に改宗し、善人デメトリオになっていたとしたらどうでしょうか?そうであったらいいなと、歴史のロマンを感じます。物語的には面白いですが、でも少し無理かなと思えるので、ここでは二人のデメトリオは別人であったと解釈しておきましょう。何の証拠資料もないのですから。
ガイオに直接会って話をしようと言う約束で、ヨハネ最後の書簡が終わっています。
『あなたに書くことはまだいろいろありますが、インクとペンで書こうとは思いません。それよりも、近いうちにお目にかかって親しく話し合いたいものです。あなたに平和があるように。友人たちがよろしくと言っています。そちらの友人一人一人に、よろしく伝えてください。』(同1:13~15)
私のつたないヨハネ書簡第一、第二、第三の自己流な解釈を読んで下さった読者の方々に、イエスの福音を、直接お話しできたら、どんなに霊の喜びを共にできるだろうかと思います。キリストの贖罪の奥義を文字で伝えるのは限界があります。共に祈り、笑い、涙を流しながら、イエスが私達にして下さったことを、語り明かしたいと思っております。
私は、私の若き時に、成し遂げられなかった、燃えるような宣教の思いを、少しでも埋め合わせようと、郵便局長を定年で退いてから、聖書研究に充分ではありませんが時間を割いてきました。
聖書と、真の神を知り、イエスの贖いを信じるとき、どんな人の人生にも、永遠の命に至る希望があることを知ってもらいたいと思って書いてきました。ホームページを今後とも続けるつもりでおりますので、引き続きご愛読、よろしくお願いいたします。