ヨハネによる福音書12章
ヨハネによる福音書12章
いよいよ、ここから受難週の始まりです。ヨハネはイエスの3年半に亘る、公生涯の中でも、特に十字架に至る最後の週を中心に記述しています。21章からなるヨハネの手紙の半分は受難週から復活のイエスのお働きに焦点が絞られています。
エルサレム入城後にイエスが話された「一粒の麦」の喩えが12章の中に出てくる。一粒の麦は、死ななければ、何も変わらない一粒の麦のままであるが、土にまかれて、死ねば、やがてそこから芽が出て、穂になり、成長して多くの実を結ぶ。これが12章のテーマであると私は思う。そして私達も、キリストに繋がった者として、同じような生き方をすべきです。キリストの死と復活にあやかって、一粒の麦として生きて行くことが期待されているのです。『もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。』(ローマ6:5)
さて、受難週の大まかな経過については以下の通りです。
(受難週とキリストの足取りwww.rcj.gr.jp/izumi/mame/es-2.htmより転載)(リンク有)
受難週(Passion
Week)は、棕櫚の日曜日からイエスの復活前日の土曜日までの一週間をさす。
この週は教会では、結婚式などのお祝い事を避け、キリストのこの地上での最後の一週間の歩みに心を馳せて、主の十字架の御苦しみを思いながら過ごすのが一般的です。
日曜日:棕櫚の日曜日(Palm
Sunday)
イエスがエルサレムに入られたときに、人々が棕櫚の葉を敷いて、ロバの子に乗ったイエスを迎えたことからこの名前が付けられた
(マタイ21:1-11マルコ11:1-11
ルカ19:28-40
ヨハネ12:12-19
)。
月曜日:宮きよめ
イエスは神殿の境内に入りそこで売り買いしていた商人を追い出され、神殿が祈りの家であることを宣言された
(マタイ21:12-17
マルコ11:15-19
ルカ19:45-48
ヨハネ2:13-22)。
火曜日:多忙な御奉仕
様々なしるしと奇跡を行い、神の愛に燃えて、エルサレムの退廃ぶりを嘆かれた
(マタイ21:18-19
23:37-39
マルコ11:12-14
ルカ13:34-35
)。
水曜日:ベタニアで香油を注がれる
イエスがベタニアのシモンの家で食事をしていたとき、マリアがナルドの香油をイエスの頭に注ぎかけた。これはマリアの心からの献げものであると共にイエスの埋葬の準備であった
(マタイ26:6-13
マルコ14:3-9
ヨハネ12:1-8)。
木曜日:主の晩餐
イエスは弟子達の足を洗われた後、二階座敷で御自分の死を予告されて、聖餐式を制定された。この後イエスは、ゲッセマネで祈りの格闘をされた後、ユダの裏切りによって当局者に捕らえられることとなる
(マタイ26:17-75
マルコ14:12-72
ルカ22:7-63
)。
金曜日:受難日(Good
Friday)
イエスは鞭打たれ、人々から嘲られて、カルバリの十字架への道を重い十字架を背負って歩く。そして祭司長、律法学者達の手によって十字架に掛けられる。人類の贖いが完成して、神殿の幕が真っ二つに裂ける
(マタイ27:1-61
マルコ15:1-47
ルカ22:66-23:56
ヨハネ18:28-19:38)。
土曜日:番兵墓を見張る
金曜日の夜イエスは墓に葬られた。当局者はイエスの死体が盗まれないように、墓の石に封印をして番兵に命がけの番をさせる
(マタイ27:62-66)。
『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 』(ヨハネ12:1~2)
過ぎ越しの祭りの6日前にイエスはベタニアの村へ入られたが、それが何曜日であるかは諸説ある。さらに『その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」』(同12:12~13)とあるので、エルサレム入城 は、もしベタニアに来たのが土曜日だとすると、日曜日のことになる。エルサレム入城 の日については、一般的に、多くの教会では、Palm Sundayと言う言葉があるように、日曜日であると考えています。
また、イエスはいつ十字架につけられたかについても様々な議論がある。一番有力な説は、紀元30年の4月7日金曜日の昼12時頃に十字架につけられ、午後3時頃息を引き取られたとする説。その根拠はこの日が皆既日蝕があったからです。しかし、紀元33年4月3日金曜日と言う説もある。紀元30年~33年の間のいずれかであろう。SDAは紀元31年説をとっている。SDAの教理の中で重要な部分を占めている、2,300年の預言の計算から、紀元31年にキリストが十字架につけられたことになります。紀元31年説を支持するその年のオリンピック開催の文献が残っています。随分横道にそれてしまうが、その文献のコピーを、この章の説明の最後に、参考として貼り付けておきます。
紀元31年説を取れば、イエスが十字架についたのは紀元31年4月6日金曜日となります(あくまでも私の仮説)。その日は空が暗くなったばかりでなく、15時ごろ大きな地震が起きたことが聖書に記されています。皆既日蝕で空が暗くなったと取るか、神の奇跡的なしるしで空が暗くすなったと取るか、また、自然現象で起きた地震か、神が引き起こされたしるしとしての地震であったかは、その人の信仰のとらえ方によります。私は神は何でもできる方であるので、皆既日蝕にこだわる必要はないと思っています。それらの日付等の確定は大事なことではあるが、あまりこだわっても、何か福音の本筋から離れてしまうような気がしてならない。先の十字架についた日付も確定しているわけではない、一つの説として受け止めてもらいたい。
『過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。』(ヨハネ12:1)とある。私は少数意見ではあるが、ベタニア村に入られた日は、週の初めの日、すなわち日曜日ではなかったかと考える。
ユダヤ人からキリスト教に改宗したクリスチャン達(メシアニックジューhttps://seishonyumon.com/movie/1786/リンク有)は、現在でも、ベタニア到着は日曜日、従って、エルサレム入場はその翌日の月曜日と考えているようだ。その大きな理由は、この日イエスの為に夕食の給仕をベタニアのシモンの家でマルタがしているところである。『イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 』(ヨハネ12:2)。
イエスだけでなくその一行、弟子達を含めれば10人以上の食事をマルタ1人がしていたとは考えづらい、近所の方もお手伝いに来ていたはずだ。けっこう大変なことである。皆さんの家に、ある日突然10人以上の客が来て、夕食の準備をしなければならないとしたら、それほど豪華な食事ではなかったとしても、きっと大変な時間と労力がかかるであろう。さらにその日は、イエスがベタニアに来られたと言うので、一目、イエスを見に、又よみがえったラザロを見に、大群衆が押しかけて来ていた。『イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。』 (ヨハネ12:9) もしこの日がパームサンデーの前日、すなわち土曜日であり、ユダヤの安息日であると考えると、ちょっと無理があります。安息日に料理を作り、接待をしたのだろうか?と疑問を感じます。それだけではない。イエスの一行は、旅行をするのにたぶん北のエフライムから、約20キロほどを5~6時間かけてベタニアまで歩いてこられたはずです。当時の人々は土曜日に旅行はしなかった。ユダヤの言い伝えのルールでは、安息日に歩くことが許された距離は、約900mであり(使徒行伝1:12参照)、安息日礼拝のためのユダヤ会堂は、そのことを守るため1,800m間隔で建てられていた。ですから過ぎ越しの祭り6日前にベタニア村にイエス一行は、日曜日に歩いてこられたに違いないと私は考えます。と言うことはエルサレム入城 は、『その翌日』(同12:12)であるので、当然月曜日になる。何度も繰り返しの説明になるが、パームサンデーすなわち日曜日の入場には、土曜日にベタニア村到着でなければならない。しかし当時の習慣では土曜日は長旅の旅行はしないし、料理を作って団体客のために食事の接待などしないはずです。
さて、イエスはロバの子に乗って エルサレム入城 を果たした。『娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。』(ゼカリヤ9:9)この聖句の預言が実現したのです。
日曜日に到着したイエスの一行は、ベタニアへ宿泊し、ベタニアのシモンの家で 夕食の用意がされた。イエスと弟子達やラザロも食事の席についていた。するとラザロの妹マリアが、とても高価な香油を持ってきてイエスの足に塗った。300デナリもするナルドの香油1リトラ(326g)をイエスの足に塗り自分の髪の毛で拭った。 1デナリが当時の日当です。今の貨幣価値で換算すると、1日1万円になります。ナルドの香油はすなわち300万円もしたのです。
イスカリオテのユダはそんな高価な物、もったいない、売って貧し人々に施せばよかっただろうにと文句をつけて、マリアを咎めた。実際は弟子達の会計係として、財布を預かっていたユダが、金銭を横領していたのをバレないように、誤魔化すために言ったことであった。イエスは何と寛容なことであろう。そのような不正をユダがしていることを見抜いて分かりながら、尚、そのことでユダを責められなかった。弟子のひとりとして扱い、その罪を指摘せず、慈愛をもって忍ばれた。
もし私達が友や十数人の仲間たちと、何らかの趣味の団体を作っていて、会費を集め、その中の会計責任者が、会のお金を横領していたらどうだろう。たぶん、口角泡を飛ばし、その人の不正を追及し、金額にもよると思うが、警察沙汰にするだろう。
イエスはマリアが困っている様子を見て、今週、金曜日に十字架につけられ、死んで墓に葬られることを予知されていたので、香油を塗って、自分の葬りの準備をしてくれたと言ってマリアを称えた。貧しい人々はいつも、これからも、弟子達の周りにいるではないか。しかし、イエスはいつまでも弟子達と共にいるわけではないとユダをたしなめられた。当時イエスはユダヤのみならず、海岸地方のツロやシドンまで宣教に歩かれた。そこには貧しい人々が、たくさんいたはずです。
イエスの働きは、その時代にあってはユダヤ中心に行なわれた(マタイ15:24参照)。やがては弟子達、又その後の教会によって福音は全世界に伝えられるようになるが、何事にも物事は順番と言うものがある。貧しい人々を、物的に豊かにし、貧困から救うのも福音の働きの大切な一部であります。飢えた者に食べさせ、凍えている者に衣服を与え、着せてやることは主に対してすることである(マタイ25:35~40参照)。しかし、何事にも順番がある。
第一義的には貧しい者も富める者もその魂を救うために福音があります。しかし、救われた者がキリストの霊によって感動し、福祉的働きを立ち上げ、社会の貧しい人々を、救うために社会的運動を起こし、現実に食べれない人に食を施し、着る物に不自由している人に衣服を与え、住居を提供する等、医療活動も含めて、物的、肉体的に救うのもイエスの働きの中に含まれます。
人間は霊だけで生きているわけではないから、人間を物的に豊かにし、病気の人を健康にする医療的な働き(医療伝道)、健康的な環境の整備、菜食を中心とした健康的な食物の提供、運動等のヘルスプログラムの提供と実施(健康改革運動)、そのすべては全人的な救いを考えているSDAにとって、アドラの働きも含めて当然なことです。知・霊(徳)・体を鍛えることを掲げた三育教育もこの流れに沿うものです。
今飢えている人に、魂の救いを説いても意味はないとは言わないが、まず肉体を養うために、食べさせることが緊急に求められます。主は飢えてしまうかもしれない、5,000人を5つのパンと2匹の魚を奇跡で増やし、給食されました(ヨハネ6:9~11参照)。まず第一義的には心の救い、魂を救うために福音は宣教されるべきです。次に貧しい者を含めた、肉体の必要を満たしてあげるべきです。この順番を逆にすることも、私はあっても良いと思っています。すなわち、イエスがなさったように、まず病の人には、病をいやし、貧しい者には、その貧困から救ってあげて、それから魂の救いを得られるよう、福音を説くのです。
イエスがベタニア村におられることを知って、大群衆がイエスを見に、また復活させられたラザロを見にやって来た。祭司長達は、よみがえったラザロを見て、多くの人達がイエスを信じるようになったので、危機感を抱き、イエスと一緒にラザロも殺害してやろうと謀議をした。何と救いようのないメシアを信じない人達。イエスが神から遣わされた明確な証拠である復活の力の奇跡を見ても、自分たちの地位や名誉を守るためには、イエスを殺すことしか思い浮かばなかった、その頑迷さには驚かされます。
ベタニア村でイエスの一行は、一夜を明かされ、その翌日の月曜日、イエスはいよいよ、子ロバに乗ってエルサレムに入城なさった。人々はナツメヤシの枝を持って迎えに出た(ヨハネ12:13参照)人々は自分の上着を道路に敷いたり、棕櫚の葉を敷いたり、又棕櫚の枝を手にもって振りながら、ホサナ、ホサナ(ヘブル語で救いたまえの意味)と言って喜びの声を上げ、イエスを歓迎した。
『二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。』(マルコ11:7~11)
何故イエスが子ロバに乗ってエルサレムに入城なさったかは、イエスの謙遜な姿を表しています。また、イエスが神の子であるから親ロバでなく、子ロバに乗ったと考えます。またイエスは初めて人類の罪の重荷を負われる方であったので、今まで人を乗せたことがない子ロバを選ばれたのです。『まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。』(マルコ11:2) 弟子達は最初何でこれらのことが起きたか分からなかったが、イエスが十字架の贖いを成し遂げ、父の栄光を表わしたのち、これらのことが聖書が書いてある通り行われたことが分かったのです。
イエスがラザロを復活させた際、目撃していた人達もそこにいて、死者からの復活が本当であることを他の人々に証しをしていた。ファリサイ派の人々はこれらの光景を見て、何をしても無駄であった、世をあげてあの男について行ってしまったと嘆いた。群衆がイエスをエルサレム入城に際し、迎えに出たのは、ラザロのを復活をさせたことや様々な不思議なしるしをイエスがなさったのを聞いていたからです。
過ぎ越しの祭りを祝うためにギリシャ人たちも何人かエルサレムに来ていたようです。彼らは、ユダヤ人であるが話をしやすかったピリポに親しみを感じ、イエスに自分たちもお会いできるようにしてくれと頼んだ。ピリポは、弟子達の内で親しくしていたペテロの兄弟、アンデレに口利きをしてもらいたいと思い、ピリポとアンデレ2人で、イエスに頼みに行った。その時イエスは有名な一粒の麦の話をした。
『「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところ(神の国)に、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」』(ヨハネ12:23~26)
これは十字架に自分がついて死ぬと言うイエスの宣言であった。イエスは一粒の麦として、人間のために死んで行く。しかし、麦の種が、形を失って発芽して成長し、多くの実を結ぶように、やがて、イエスの死によってたくさんの魂が救われて実を結ぶことになるのです。
イエスは父なる神の愛を表わし、御名の栄光を表わすためにこの世に来ました。その栄光とは人類全員の罪を負って、十字架で命を捨てることなのです。本来、人間自身が神の怒りを受けて、滅びなければならない、第二の死をイエスは十字架上で経験することになります。しかしそれは無駄死にではないのです。もっと良い命、復活の命を受けるため、命を得るため、命を捨てるのです。イエスは命を捨てる力もあり、命を得る力もある。『だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」 』(同10:18)。死ぬのは新たな命を得るためです。
さて、イエスの弟子なら、師であるイエスがしたように従い、生きるべきだ。自分の命を愛する者はそれを失う、しかし、イエスがしたように、自分の命を憎むものは却ってそれによって命を保ち、永遠の命を得るのです。
イエスはキリスト教にとって、最も大事な根本的な生き方を弟子たちにお示しになった。神と人の為に、自分の命、命を構成する時間を捨てて、神と人の為に仕えるために生きる事。すなわち、一粒の麦になるのは私やあなた自身です。究極的に言えば、私達は、自分の古き肉を、砕き、滅ぼし、死ぬために召されているのです。イエスが十字架についたとき、私達の古い自分も共に十字架に磔られているのです。それは復活された主と共に霊的に復活し、この世にあっても復活の霊の命に満たされて、新しい命に生きる為なのです。これは法則であって、キリストに従って行くものは、誰もこの法則から逃れることは出来ません。一粒の麦になることは、大袈裟に言えば、これは神の統治の原理、宇宙の大法則です。
人々は良く愛と言う言葉を使う。しかしキリストの教える愛は中途半端なものではない。ここに書かれている生き方が求められる。すなわち、何度も今まで書いてきたので、繰り返しにはなるが、究極的には、神と人の両方の為に、自分の命を構成する時間や、ある場合には命そのものを捨てることなのです。
命を構成する、時間や、労力や、自分の趣味や、財産や、生活空間ですら、神と人の為に差し出しなさいと言うことを意味する。もちろんそれは、無駄になることではない。永遠の命をキリストからいただくためであって、たとえ死ぬことになっても、決して無駄死にしろと言うことではない。むしろそのような生き方をする者を『わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」』(ヨハネ12:26)とあるように、神はその人を守り、大切に取り扱って下さる。神の愛は総ての人に平等に注がれてはいるが、主に従い、主が実行したような、自己犠牲の生き方をする者を、神は特に守り、大事にして下さると言うお約束です。
『自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』(ルカ9:24)この言葉の通り生きれば間違いがない。この言葉を私の座右の銘にしよう。このような生き方をして行くと、この世では生きて行けないのではないか?本当に大丈夫なのだろうかと言う、誰でも感じるであろう一抹の不安があります。でも却ってそれによって命を得ることになるのだと言うイエスのお約束に信頼しよう。
太平洋戦争末期、国家の為、玉砕覚悟で敵に万歳突撃をして、死んで行った大勢の若者の話を聞く。彼らはどんな思いで死んで行ったのであろう。靖国神社に英霊として自分が祭られれば、それで名誉だなどと言う思いで死んで行ったのかも知れない。そのような死にかたをなさった方々を、侮辱するつもりは私には毛頭ない。彼らの犠牲があって戦後の日本の繁栄はあるのだし、国家神道の下に天皇に捧げられた命ではあったが、それはそれで、当時の価値観からすれば英雄的な行いであり、突撃した兵士一人ゝの思いを思えば、故郷の父や母、家族のために喜んで死んで行ったのかも知れない(彼らは誤まった国策の犠牲で犬死にしたという見方もあるが)。
しかしそういう価値観と、またキリスト教の教え、愛の実践のために犠牲を求められる生き方とは微妙にニュアンスが違う。一方はどう考えても戦争ですし、自分も大義の為に死ぬかも知れないが、作戦が成功すれば相手を殺さなければならない醜い殲滅戦です。この世が、肉の責任を嫁して、肉の暴力的、破壊的力で、敵か味方かどちらかの肉を破壊するまで、その肉の責任を果たすことを求めているのです。肉の責任を果たさず、敵前逃亡をすれば、兵士には味方による銃殺刑が待っています。突撃しても死ぬし、逃げても死ぬし、そのようなシステムの中に入れば選択の余地はない。
しかし、私達は肉の義務を肉の世に対して負ってはいない。『肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。』 (ローマ8:12)と書いてある通りです。私達は、最終的には世的に大きな犠牲を伴うことになり、しかもある時代、ある場合には、世人が推奨し称賛するような(戦前の国粋主義等)社会的、時代的な価値観に生きることを選択してはなりません。肉のこの世、肉のシステムの中に自分を埋没させて行くことは、神に喜ばれることではありません。私はパウロのローマ8:12 の言葉をこのように解釈しています。
イエスは人類を救うために、その罪とその刑罰である死(滅びの死、第2の死)を自発的に引き受けた。父なる神が、人類に下す刑罰を何の落度もない、無垢な神の独り子イエスが、一手にお引き受けになった。そしてイエスを信じる者にも、そのように神の為、又人の為に、命を捨てる覚悟で、イエスに従って来るように求めておられるのです。この宗教のシステムに入った以上、やはり選択の余地はないのです。この信仰が求める生き方を拒むものは、キリスト教を真に理解することはできないでしょう。聖書の中には信仰上の厳しいメッセージがちりばめられています。最後まで信仰を、忠実に貫き通すように、色々なところ厳しい勧告がされており、そのことを否定することは出来ません。
例えば、旧約聖書の故事に、モーセやアロンに逆らい、神にも逆らって、反逆を企てたグループがあった。レビ族から出たコラの子達の最後を見よ。一部はルベンの子孫もいたようであるが。彼らは人々の目の前で地が裂けて、生きたまま地は彼らを飲み込んで行ったではありませんか(民数記16:31~33参照)。
信仰によって義とされ、救われたら、後は愛の生き方、お互いに愛すれば良いと言うが、それは軽い意味ではない。神と人の為に自分の命と、それを構成する時間を投げ出せるかどうか問われるのです。いつ問われるのですか?その人が持っている信仰の度合いにも寄りますが、神がお許しになる、生涯のどこかで、決定的に問われるのです。もちろんそれは、尽きない、もっと質の高い命、永遠の命を得る為ですが。
この世の人のように、自分の意志と努力でそんなことをできると考えない方が良いです。ただ私達と共に、私達の心の中に、聖霊を通してお住まいになるイエスがそのことをして下さるのです。殉教と言う言葉があります。教えの為に命を捧げて文字通り死ぬことです。しかし私は殉愛と言う言葉を思いついた。イエスを愛する愛のために殉じるのです。『わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。』( ローマ8:38~39)
しかし、人間としてのイエスは心穏やかではおられなかったようだ。
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」 (ヨハネ12:27~28) 人類のために己の命を、十字架にかけて死ぬ時が迫っていた。今のこの時から逃れさせてくださいと人間イエスは、父なる神に祈るべきであったであろうか。そうではない『わたしはまさにこの時のために来たのだ。』(同12:27)人類のために死ぬことが栄光への道だったのです。
またユダヤ人達が信じるために一つのしるしが天から与えられた。それはイエスの為ではなくユダヤ人達がその声を聞いて信じる為であった。『すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。』 (同12:28~30)
父よ御名の栄光を表わしてくださいと父に向ってイエスが祈ると、即座に天から父の御声が聞こえた。それは小さな声ではなく雷鳴とも聞き違うほどの大きな声であった。ある人は天使がイエスに話しかけたとも言い、ある人は雷が鳴ったとも思った。それは『「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」』との声であった。
変貌の山において既に父はその栄光を存分に表しており、その時にも御声があった。『「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。』 (マタイ17:5)
又、イエスのバプテスマの時にも『「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。 』(マタイ3:17)
天の父は、その御言葉を地上に下し、栄光を表わされた。『再び栄光を現』す時が迫っていた。イエスを苦しめることは父の御旨であった。十字架こそ、父が御心によって、その怒りを御子に下し、愛の御顔すら御子から隠される時であった。父なる神との隔絶、交わりが絶たれると言う最大の苦悶を御子が人類の代わりになって受けること、それが父が栄光を表わす時であった。
『今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。』 (ヨハネ12:31) 十字架は神の栄光が表わされる時、この世の支配者(サタン)が追放される時です。何故十字架はこの世が裁かれる時なのであろうか。イエスはこの世のすべての罪と咎を十字架で負われた。イエスを死に至らせ、第二の死である滅びの死を、経験させることは神の御旨であった。この世の裁きのすべてはイエスの上に下された。イエスによってこの世の裁きは決定され、実行された。そして、すべての罪の結果はイエスの上に置かれた。
何故十字架でサタンが追放されるのか。それは私達の身体を造っている肉と肉の性質を深く考えなければならない。この私達の命を構成する肉体とは何なのだろうか?悪なのか、それとも善なのか?肉とその欲望とはいったい何なのであろう。
人間は肉体がなければ生きていけない、魂や霊だけでは存在できない。本来肉体は土から造られた。ヘブル語でアダマーは土を意味する。アダマーから造られたからアダムと名付けられた。神が造られたものに悪いものは一つもなく、すべては良いものであった。であるから肉体は本来良いものです。良いものが、堕罪によって、性質が変化してしまった。楽園から追放され、良いものが罪の誘惑にさらされる入り口になって行く。善悪を知る木の実を食べることによって、肉体は誘惑の入り口になって行く。食欲、情欲、目から入って来る形の良い物の虜になる性癖が始まって来たのです。本来様々な欲はコントロールされている限り良いものです。食欲がなければ拒食症になるし、性欲が無ければ、人類が滅びます。ただそれが乱用され、行き過ぎると、罪の根源になって来ます。道から外れ、 不倫をした結果、多くの家庭が破壊されて来ました。男も女も、肉と目の欲の趣くままに、罪を犯すようになっている現実があります。
肉体だけでなく、精神も堕落していることにも注意しよう。人間の精神は善かと言えばそうでもない。精神は善なるものを求める傾向はある。しかし、精神がもたらすものが、すべて善いものとは限らない。犯罪に誘うような知識欲、名誉欲、権勢欲、嫉妬心、ねたみ、貪欲等精神そのものも堕落したと言えます。知性も悪の知識を得る方向に傾いて行き、神の存在すら否定するようになった。進化論と言うまだ証明されていない理論によって、知性は神を否定する強力な論拠を得たと言えるだろう。私も青春時代には、進化論を正しい理論であると信じていた者であり、神を信じる際には大きな妨げになっていました。
トータルに、肉体と知・情・意を含めた精神も堕落したのです。体は堕落し罪への入り口になって来たのです。
イエスは何故、人間の罪深い遺伝の影響を受けた肉体をとって、処女マリアから生まれてきたのであろう。
『肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。』(ローマ8:3~4)
それはイエス御自身が人間となられ、罪深い遺伝的弱さを持った肉の様をとられ、肉にあって罪を破壊し、処断するためでありました。イエスが肉体を十字架につけられた時、信仰の眼で捉えれば、根源的に、あるいは法則として、私達の肉体もイエスと共に十字架につけられたのです。
サタンはを人間の肉体を強力な誘惑の入口とした。だから、キリストは宣教を始めるにあたって、荒野で40日40夜断食をなさり、肉体の限界に臨まれたのです。サタンは人間の肉の性質の中に宿り、肉体を自分が宿る依り代、よりどころとしたのです。イエスが十字架で肉体を破壊された時、もはやサタンは自分の宿る場所、依り代を失いました(十字架釣り針説)。
モーセが青銅の蛇を竿に高く掲げてそれを仰ぎ見るようにイスラエルの人々に示した時、青銅の蛇を仰ぎ見た人は、身体から毒蛇の毒は去り、命が救われた(ヨハネ3:14,民数記21:9参照)。どう考えても蛇はサタンの象徴です。
何故イエスの十字架を象徴するこの故事が、蛇であらわされたのか。それは罪と罪の宿るところは堕落した肉であり、著しく肉体を介して、罪は誘惑の力を発揮してきたからです。人間の肉の弱さと言う紛れもない事実があります。
私達の肉体は弱い。物欲、嫉妬心、名誉欲、金銭欲、異常な食欲、飲酒癖、情欲、賭け事等に溺れ、罪の誘惑に陥りやすい弱さを根底にもっているのです。イエスはご自身の肉体を、十字架につけることによって、人類の代表として、罪を罪として処断したのです。そして私達もその弱い(ある人にとっては強い、強すぎる)、誘惑に陥りやすいこの古き肉が、イエスと共に信仰によって十字架に共に桀けられ、死んでしまったことを霊的に悟るべきなのです。
信仰の眼をもって見れば、全人類は第一のアダムにあって、アダムの腰の中にあって(ヘブル7:9~10、創世記14:18~20参照)アダムと一緒に罪を犯した者とされ、アダムと同じ様な罪を犯さなかった人にすら、死は支配した(ローマ5:14参照)。しかし、この罪の性質を受け継ぎ、死に定められた人間が、第二のアダムであるイエスによって、劇的な救いの法則の中に希望を見出すことが出来るようになった。今度は、復活したイエスに一体化することによって、第二のアダム(イエス)による恩恵と特権が、総て私達に注がれる。イエスが復活したとき、信仰の眼をもって見るならば、私達も霊的に新しい命に復活し、イエスを通してさらに優った義の支配が始まっているのです。第一のアダムより第二のアダムの方が優れているからです。第一のアダムは被造物なのですが、第二のアダムは造物主だからです。
イエスの復活の力によって支配され永遠の命に、義に満たされながら、この世でも力強く、イエスを通して義の支配の下に生きることが出来るようになったのです。
『一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。』 (ローマ5:17)
私達の遺伝的な肉の弱さをも含めて、イエスの十字架の肉の死で、私達の様々な肉欲も、共に滅ぼされ破壊され、処断されたと、と信仰によって捉えるべきです。それは支配の問題なのです、個々の罪を犯してしまう危険は、どこまで信仰が進んでも、何歳になろうと、取り去られはしないでしょう。私達はよっぽど恵まれた方々を除いては、皆俗人であり、聖人ではないからです。たまには罪の誘惑に取り込まれてしまう、愚かな、危うい私達ですが、新しい第二のアダム(キリスト)にある私たちは、その方と一体に毎日なることによって、義の支配の中にいるのです。それは支配の問題なのです、
ゆえにサタンは追放されたのです。十字架は実はサタンの滅びであったと考えられます。
『今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。』 (ヨハネ12:31)
神によって最終的、根本的に滅ぼされるのは千年期の後、イエスの第三降臨後の話ではありますが、原理的にイエスが十字架で、罪の肉の様で肉を処断された時、サタンは追放されたのです。勝利はもたらされ、霊によって生きる者は、復活の次元に移行し、義に支配されつつ、永遠の命に至ることになった。
イエスは復活し、勝利を宣言し、イエスを信じる者は、多少ではあるが、この世にあっても、イエスの復活の力の影響力を行使できる新しい時代に入ったのです。復活後、イエスの義の支配は、この地球の隅々までに及ぶことになった(そう考えないとイエスの復活の霊的意味がないではありませんか)。
キリストが勝利された、復活の勝利のエネルギーはすべての人々に及ぶのです。第一のアダムの罪が、たとえアダムと同じ様な罪を犯さなかった人にすら、すべての者に、死の支配を強制したように、第二のアダムであるイエスの復活の力の支配は、さらに優越して私達イエスを信じる者に及ぶのです。この地上においてすら、義の支配のもとに、喜びと賛美の内に生活することが出来るようになって行くのです。義の支配のもとに、永遠の命に至ることが出来ます。
『こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。』 (ローマ5:21)
これこそサタンが追放されるの意味です。
『わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」』(ヨハネ12:32)の意味は、ユダヤ民族だけが、神の選民として優越的に救われると言う、狭少な民族的宗教の救いの枠が取り去られ、すべての人が救いの対象になったと言う意味です。もちろん、日本人も含めて(このイエスの時代からさらに、1,500年後のザビエル来航まで待たねばならないが)。
すべての人が招かれ、福音に平等にあずかれるが、ただすべての人が救われるわけではない。すべての人がキリストのもとに招かれているが、その招きの応じる人々はすべての人ではない。むしろ、残念ながら、救いを受け入れる人達は少数なのです。
特に日本においてはクリスチャンはキリスト教全教派合わせても約95万人に過ぎない。日本の総人口約1億2,570万人のうち、クリスチャンは0.76%でしかないのです。
『イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」 』(ヨハネ12:35~36)
イエスは光のあるうちに、イエスを信じなさい、と言われた。イエスは世の光としてこの世に来た。しかしもうすぐ十字架につき、贖いの業を成し遂げてから父なる神のところに帰らねばならない。私達もまだ光が自分のそばにあり、学べば理解できるうちにイエスを信じなければ、チャンスはなくなって行くのです。短い人生の限られた時間の中で、イエスを光、人生を導く真の光として信じて行こう。まだ光が自分の周りにあり、福音を理解し、信じるチャンスがあるうちに。歳を取って、自分の身体を動かすのも1人では出来なくなり、何の楽しみもないと言う時が来る前に。『あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、』(伝道の書12:1口語訳)
そんな風に決してなりたくはないが、私達が認知症になり、何も理解できなくなってからでは遅すぎるのです 。歳をとって、理解力が衰える前に、福音を受け入れ信じなければならないのです。時間は無制限にはないのです。光のあるうちに、光を理解できる知性のあるうちに、光を信じて行きましょう。
歳をとってから教会に戻って来た一人のY老婦人を知っています。久しぶりに教会にお出でになり、何ヶ月もの間続けて教会に出席していました。八王子教会のコワイヤーの人達と、一緒になって讃美歌を歌ったり、楽しい時間を過ごしていました。しかし、やがて認知症になり、教会に来れなくなり、数年前に亡くなりました。もちろん晩年教会に出席した彼女は、イエスの御恩寵によって救われ、永遠の命の希望をもって眠りについたと思います。人にはそれぞれ神の御計画があり、彼女の人生はとても良い人生だったなと思います。
人間、今日は元気でも、明日はどうなるのか誰にも分からないのです。今と言う時に、創造主である神を信じ、贖い主であるイエスの救いを心から受け入れ、生きる力を与え、祝福の根源となって下さる聖霊の神の豊かな満たしとご臨在の中で、限りある人生の毎日を希望をもって歩んで行きましょう。どう考えても、残された短い、先に限りのある人生の生き方に、それ以上のものはないような気がいたします。
群集の中には、イエスを救い主として信じていない者達もいた。
『すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。』(同12:34) 何故上げられなければならないと言うのですか、聖書にはメシアは死なず永遠の国を打ち建てるとあるではありませんか、と疑問を持った人々もいた。預言の順番を彼らは穿き違えていた。確かにメシアは、最後には永遠の王国を建設し、永遠に人々と共に存在することになります。彼らの言うとおりです。
しかし順番があります。まず受肉、十字架、復活、昇天、再臨、世の終わり、全聖徒の復活、天国への凱旋、地球の荒廃、サタンの獄(地球)への閉じ込め、天国での聖徒らの千年期の支配、聖徒らの地球への帰還とキリストの第三降臨、全悪人の復活、サタンの解放、最終的裁き、サタンと悪天使達及び審判の為よみがえらされた悪人の地獄の火による滅亡(第2の死)、すべてが燃え尽き地獄の火も消えていきます。最後が新天新地の創造=地上天国の到来です。最終的に父と御子が救われた人々と共に永遠にわたってこの地球に住むことになります。いちいち説明すれば膨大な説明になってしまうのでここでは項目のみで省きます。何事にも順番があり、いきなりこの時代に、贖罪の最も大事な働きもなさず、イエスがメシア、地上の王として、2,000年前のローマ帝国の時代に、新しいユダヤ王国を建設し、そこで永遠に君臨なさることにはならなかったのです。
ユダヤ人達は、メシアが来れば、世界を征服し、ソロモン王国が再興され、ユダヤが神の国になると、預言の実現の途中を省略して、実際の王国の到来を待ち望んでいた。
イエスは、何を言っても、奇跡を行っても信じようとしない彼らから姿をお隠しになった(ヨハネ12:36参照)。又ヨハネはイザヤの言葉を引用し、イエスによって以下の預言が実現したと書いています。
『わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。』(イザヤ53:1)
『主は言われた。「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし 耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」』(イザヤ6:9~10)
結局彼らが悟ることはない結果に終わるのは、預言の実現であった。彼らは真のメシアがすぐそばにいるのに、そのメシアである、イエスが説く、心の中に打ち立ってる神の王国を悟ることが出来なかった。かえって彼らはイエスを十字架につけることによって、本当のメシアを殺してしまうことになります。
しかし、そのことがキリスト教の贖いと言う概念を生みだした。信じる者にとってそれは概念ではなく、神が計画された事実ではあるが。十字架の贖いの犠牲を信じることによって、誰でもキリストの血よって罪が赦され、行いではなく信仰によって義とされることになった。神の前に罪なき者として立たしていただけることになった。
偏狭な規則、言い伝え、戒めによって、人々を縛りつけて来たユダヤ民族の形式的な宗教ではなく、全世界の人々に、ただ信仰だけで救いをもたらすことになる宗教がキリスト教として成立した。万民に、無代価の福音が提供され、一民族の宗教から世界宗教へと脱皮して行ったのです。『わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」』(ヨハネ12:32)のキリストの言葉が実現した。新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れられたのです(マタイ9:17参照)。
一粒の麦は、死ななければ、何も変わらない一粒の麦のままであるが、土にまかれて、死ねば、やがてそこから芽が出て、穂になり、成長して多くの実を結ぶ。
今や全世界約80億5千万人https://arkot.com/(リンク有)が救いの対象です。心を開いて神の福音を聞き、信じるならば、すべての人が救いの対象であり、罪と死から贖われ、希望の人生を送ることが出来ます。ただそのことを知らないだけであり、知らせることは私達の義務です。
『だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。』(マタイ28:19~20)このようにすることがイエスの命令です。しかし、すべての人々がイエスを受け入れるとは限らない。実際はほとんどの人が主を受け入れず滅んでいくことになるのだろうが、救いの機会はすべての人々に提供されなければならない。
『とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。』(ヨハネ12:42~43)
議員の中に心の中ではイエスを信じたものも多くいた。しかし、彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだ。議員のうち、イエスの弟子としての立場をイエスが十字架についた時点で、公に告白した者は、アリマタヤのヨセフとニコデモだけであった。
キリスト教信仰は心の中で信じているだけでは不十分です。どこかで、キリストを信じていることの、公の表明を求められます。「キリスト信者です」とハッキリ告白することが求められます。どうも隠れキリシタンではだめそうです。
江戸時代のキリシタン迫害の例を出すまでもなく、キリスト教信仰の公の表明は命懸けです。『わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。』(ルカ9:26)とあります。これは誰でも信じる者が乗り越えなければならない、正に求められている重大な信仰の行為であろう。命がけの信仰告白をしなければならないような迫害の時代が来ないように心から願う。まさか信教の自由が憲法で保障されている現代の日本で、そのような時代が来ることは今のところ考えられないが。
もちろん、隣人愛も大事、人の為に奉仕をし、愛の善い行いをして生きること、それは素晴らしい生き方です。『イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 』(ヨハネ第一3:16)とあります。
同時に、キリスト教信仰はもう一つの信仰の行為を求めます。神の為に、その信仰の公の告白の為に、あなたはこの世のすべてを捨てられますか?持ち物を始め、職業、名誉、地位、財産、親、子供、親族、この世の友、そして、この世の命すら捨てられますか?と言う重い問いかけがあります。『イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 』(マルコ10:29~30) 『自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』 (ルカ9:24)
弟子達はヨハネを除いて皆殉教死したと伝えられています。最も大切な永遠の命を得るため、そして何よりも、愛するキリストを信じるその愛のためです。イエスの存在、そのなさった贖罪の深さ、大きさ、それらに心底感動し、自分の命まで捧げて行ったのです。真実の愛は命懸けなのです。それは命を与えるだけでなく、命を奪う場合もあるのです。奪うと言う言葉遣いは適当ではありません、神と人の為に自分の命、時間、生活空間、大事にしている趣味等を喜んで捧げるようになれるのです。それは自分の生まれつきの肉の力では出来ません。私達の内に宿るキリストの霊の力が、そのような高みまで私達を導いてくれるのです。
『死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。』 (ローマ8:38)
歴史を振り返ると、大勢のキリスト教徒が、迫害をものともせず、来たるべき永遠の命の為に、この世の命を、神に捧げて来たのです。私はこのような困難な迫害の時代が二度とこないように思っています。迫害に耐え、命すらキリストに捧げられるような信仰の勇者に誰がなり得ようか。皆、からし種一粒の信仰もない、不信心な弱い存在なのです。それが証拠に、山は動いていないし、桑の木も湖に植え変わっていないではないか(マタイ17:20,ルカ17:6参照)。 私自身は自分の信仰が如何にお座なりで、頼りなく弱い者であることを良く分かっています。その場になれば、天から聖霊によって力が与えられることを信じていますが、そのような苦難の時代が来ないことを願って止みません。
『イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。』(ヨハネ12:44~45)
ここでイエスは大声で叫んでいます。権威ある大事な教えであるからです。イエスと父なる神は一体です。イエスの教えは父の教えであり、イエスを見た者は父を見たのと同じであり、イエスを信じることは、父なる神を信じていることになるのです。
『父の命令は永遠の命であることを、わたしは知っている。だから、わたしが語ることは、父がわたしに命じられたままに語っているのである。」 』(同12:50)
当然イエスの言葉を信じる者にはその人の内に永遠の命がもたらされます。
『わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。』(同12:47)
たとえイエスの言葉を守れなかったとしてもイエスはその人を裁かない。イエスは人々を救うためにこの世にやって来たのであって、裁くためではないからです。しかし、もしイエスの言葉を最初から拒み受け入れないのなら、イエスが語った言葉が最後にはその人を裁き、その人には滅びが待っています。
何故イエスの言葉を聞いて受け入れた人々がそれを守れなくてもそのことによって裁かれないのであろう。『敵を愛』せ(マタイ5:44)と言う有名な御言葉から考えて見よう。イエスは敵を愛された。十字架にかかりながら十字架につけた人々を呪わず、自分を殺そうとしている人々のために祈られた。『「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 』(ルカ23:34)。 私達は本当に敵を愛せるのだろうか。されたことは倍返しにしたくなるのが人間の罪深い本性であろう。仕返しもしないで、ただ黙って忍耐することも立派なことだと思う。しかし、もう一歩進んで、イエスはここで敵を積極的に愛せとおっしゃった。果たしてそんなことが人間にできるのだろうか。
私達に与えられた『敵を愛』せ、とのイエスの言葉(イエスの律法と言っても良い)は、中途半端な愛し方ではない。それは人間の努力や能力で出来る範囲を越えています。それは命懸けであり、正に人々のために命を捨てた生き方です。問題は私達もそのようにできるのだろうか。また、そのようにしなければ救われないのだろうか。ここで、ハタッと、信仰が行き詰まってしまう。人間には愛の限界があります。キリストの言葉(イエスの律法)を純粋に実行したいと思っても、否、思えば思うほど、実行不可能になり、ジレンマにすら陥ってしまう。そこに、人間の限界が見えてくるのです。弱い肉体を持っている私達の限界、罪の遺伝によって弱められてきた、本当に悲しい人間のさががあります。
『わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。』と言う言葉は弱いものを救うイエスの哀れみの言葉ではないだろうか。私達は誰も信仰の勇者にはなり得ない。総ての人間は、神の絶対的な御言葉の権威の前に立つとき、畏るべき、神の愛の言葉に打ち震えるばかりです。神の御言葉は『関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して』(ヘブル4:12)中途半端を許してくれない。徹底的に心の奥底まで追及して来るのです。私達の心の奥底に隠れている、利己心、矛盾、愛のなさ等を、御言葉と御霊の火でもって炙り出してきます。でも慈愛に満ちたイエスは、イエスの言葉を受け入れるならば、たとえ弱さのゆえにそれを守れなくても、そのことを責めたり、裁いたりなさらないのです。たとえ、私達がイエスのご命令通り、敵を愛せなかったとしても❕
【参考】https://koumichristchurch.hatenablog.jp/entry/20140414/p1 より転記(リンク有)
では日付はどうか。主イエスが弟子たちと過越祭の食事を最後の晩餐としてとった同日です。なぜならユダヤ暦(太陰暦)では日没から日没が一日だからです。過越祭はユダヤ暦ニサンの月の14日の日没後、つまり15日から1週間もたれました。
「第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。この月の十五日は、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。
七日間、火による捧げものを主に捧げる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」(レビ記23:5−8)
そして、主イエスは「種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越しの小羊をほふる日に」(マルコ14:12)、弟子たちと二階の広間で最後の食事をとり、その夜、逮捕されて、深夜にユダヤ最高議会の裁判にかけられ、夜が明けてピラトのもとに裁判にかけられて、午前9時に十字架につけられたのです。
というわけで、主イエスが十字架にかけられたのはユダヤ暦ニサンの月15日であったことになります。
次に、主イエスが十字架にかけられた年代です。これが聖書では明示されていません。ただ、次のような手がかりがあります。
「皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。」(ルカ3:1−3)
そして、主イエスがヨハネからバプテスマを受けて、「
教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で・・・」(ルカ3:23)とあります。
ヨハネがどの程度の期間活動をして後、主イエスが彼からバプテスマを受けたのかが明記されていませんが、テベリオの治世第15年から1〜2年のうちだっただろうと思われます。
テベリオ(ローマ式にいえばティベリウス)の治世というのは、西暦紀元14年
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37年ですから、「テベリオの治世第15年は西暦28年」で、主イエスが教えを始めたときは、西暦28年から30年くらいではないかと思われます。
ヨハネ福音書によれば、主イエスの活動期間に祭りが3度めぐっているので、主イエスが十字架にかかられたのは西暦31年から33年です。
ここで、ルカ福音書には主イエスが十字架にかかられた日、正午から午後三時にかけて太陽が光を失い暗闇があたりを覆ったという記録があります。
「そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。」ルカ23:44,45
主イエスが十字架にかかった日の正午から暗闇が全地を覆ったことは、同時代の小アジアの年代記記者フレゴンの記事においても証言されているので、文学的フィクションでなく歴史的事実であることが確認されます。
「第202回のオリンピック大会の第4年目、日食が起こった。それは古今未曾有の大日食であった。昼の第6時(すなわち正午)、星が見えるほどの夜となった。ビテニアに起こった地震でニケヤの町の多くの建物が倒壊した。」
しかし、これは通常の自然現象としての日食ではありません。というのは、主イエスが十字架についたのは過ぎ越し祭のときであり、過ぎ越し祭は春分の後の満月の時に開催されたからです。満月のときには、日食は起こり得ません。それに、今世紀最大の日食といわれたおとといの日食でも数分にすぎませんが、主が十字架にかかられたときの日食は、実に正午から午後三時までの三時間にわたりました。
というわけで、主イエスが十字架にかかられた年代は「第202回のオリンピック大会の第4年目」ということになります。
主イエスが十字架にかかったのは、第202回のオリンピック大会の第4年目、ユダヤ暦ニサンの月の第15日の朝9時から午後3時の出来事でした。
(私の私的計算 紀元前776年7月8日を第一回オリンピア開催と言われている。
イエスの十字架にかかった時のオリンピアを第202回とすると 202×4=808年
808−776-1=31 紀元ゼロ年はないのでマイナス1 紀元31年が第202回オリンピア開催であると同時にイエスが十字架にかかった年 推測である)
こうしてエーリス領地内のオリュンピアで始まったオリンピックだが、最初のうちの記録は残っていない[要出典]。記録に残る最初のオリュンピア祭は、紀元前776年に行われた。古代オリンピックの回数を数えるときには、この大会をもって第1回と数えるのが通例である[6]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF リンク有