ヨハネによる福音書18章
ヨハネによる福音書18章
『こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。』(ヨハネ18:1~2)
過ぎ越しの食事も終わり、その場で話されたイエスの言わば告別の説教(14~17章)も終わった。一同は二階の部屋から出て、ゲッセマネの園へ向かった。ヨハネによる福音書18章のテーマはゲッセマネの園での苦闘の祈りです。その後ユダの裏切り、イエスの捕縛、ピラトによる裁判と続いて行く。
ゲッセマネはエルサレムのオリーブ山の北西麓にあった地名で、オリーブの木の植えられた庭園風の場所だったため、ゲッセマネの園とも呼ばれている。その意味はアラム語で「オリーブの油搾り」、または「オリーブの酒舟」です。エルサレムから東門を通り城外へ出て、キドロンの谷を渡れば、数百メートルの場所にある。
さて、イエスはゲッセマネの園へ着くと、祈るため、三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて、他の弟子達から少し離れたところに行かれた。しかもその三人からも、石を投げれば届く距離(ルカ22:41参照)と言うから十数メートル離れ、一人で祈りながら、苦悶し始めた。弟子達は昼間の疲れが出たのと、過ぎ越しの食事でお腹が満たされたせいもあったのだろうか、眠ってしまった。
『誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 』(マタイ26:41)
ゲッセマネの園の祈りは、正に人間イエス、人類と同じ肉体を取られた神の御子イエスの肉と霊の葛藤ではないか。もしイエスですら、命を人類に与えるためにこのような葛藤があったとしたら、肉なる私達はなおさら苦しみが伴います。キリスト教の愛は神と人の為に自分の命を削るほどの大きな自己犠牲を実行することですと簡単に言ってしまうが、この卑小な私達にとって、実際にそのような場面に立たされると、大変な葛藤があります。
イエスは何とか弟子達と共に祈り、人間的な同情心を求めようとして、ペテロ達三人がいる所に、三度も戻ってこられたが(ヨハネ18:44,45参照)彼らは、眠気を我慢することができず寝入ってしまった。イエスは血の汗を流すほどに苦悶して祈られた。イエスは何を苦しんでおられたのか。翌日十字架にかかる苦しみが、前もってイエスに臨んできたのです。救いを産み出すため、前触れの、例えれば陣痛のような苦しみが、彼を襲い始めていたのです。
全人類の積もり、積もった罪の重荷が、御子の肩に負わされようとしていた。罪人に下されるべき神の刑罰が、イエスに一気に負わされ、罪を今まで一度も犯したことのないイエスの無垢な心に、罪の重荷、苦しさが心を圧し潰すような罪責感まで伴いのしかかってきた。
思わずイエスは『「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。 』(ルカ22:42)と、父なる神に願った。しかしそれではイエスがこの世に神の御子として、救い主として、『世の罪を取り除く神の小羊』(ヨハネ1:29)としてやって来た意味がなくなる。だからその後に、『しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」 』(ルカ22:42)とのイエスの祈りが続いた。
このイエスの祈りから学ぶべき教訓があります。一度はイエスは余りの苦しみに、その自分の負うべき杯を取り去っていただくように願った。しかし自分の思いではなく、御心が行われるようにと願った。神の御旨に自分を従わせ、生き方を合わせて行くことは、時に大きな葛藤が起きます。人間である以上、肉の生身の自分が、そこで曝け出されてしまうのです。言わば本音(弱音)が出てしまうのです。聖なる肉にあるイエスですら霊の道に生きようとした時そのような葛藤を経験したとすれば、より汚れた堕落した弱い肉体を持つ私達が、霊の道を選択したいと思うとき、なおさら大きな葛藤を覚えるのではないでしょうか。
霊と肉に同時に存在している自分の中の様々な弱さとの葛藤、肉の弱さは個人によって違います。顔に同じ顔がないように、肉の弱さも人によって様々です。趣味や所持品、財産や、安逸な生活や、神のみ旨にかなわない、出っ張った肉の葛藤はそれぞれ違うのですが、それらを十字架に磔て行かねばなりません。何十年信仰を続けていたとしても、この世を生きる上で、肉の葛藤は必ずあるものなのです。
私は人助けの為に祈り、実際の奉仕をしようとしても、私の内の自己愛に満たされた、この疲れやすい、弱い肉の身体を優先しようとする自己防衛本能が、聖霊の感化によって与えられる善なる思いに逆らうことがしばしば起きます。時々自分の心が病気になってしまったかと思うことすらあります。この世の人は私のそのような精神的葛藤を理解できないでしょう。それはこういう精神状態です。他人に善いことをすればする程、自分の心の奥底では、真の愛の動機からそのことをしたのではないと、自分自身の良心が、心の内側から私自身を責め始めます。「もっと違うやり方がなかったのか。お前はあの人を表面的には助けていたかも知れないが、本当に自分の総てを投げ打ってやろうとはしていなかったな。結局お前は自分が可愛くて、人の為に自分を投げ出すようなことは出来ないのだ。どっかでお前はここまでと言うラインを心の中で引いて、ラインの内側に自分の安全を確保しているのだ。」こんな思いが自分の心の中に湧き上がって来るのです。このような小さな声に、私は苛まれるのです。私は、そのような私の心に向かって言う。『行いをもって誠実に愛し合おう。これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、』(ヨハネ第一3:18~21)と書いてある。神は私達の心よりも大いなる方で、たとえ私達が心に責められるようなことがあったとしても、神の赦しの愛の内に、魂の平安をイエスの御名の故に与えて下さいと(ヨハネ16:23,33口語訳参照)祈るならば、この私を内側から苛む声も収まるはずです。
『僕は主人にまさりはしない』(ヨハネ15:20)弟子は師に似たようなことができればそれで良いのだと、私は自分自身に言い聞かせる。どう考えても、人間あらゆることにおいて100%を目指すことは出来ないのではないか。これはそうあってはならないのだろうが、偽らざる自分の気持ちです。私自身の心の中身を吐露することは恥ずかしい限りではあるが、私が、自分の心の中にある弱さ、たとえ表面的には善行をしているようでも、実際には心の中に不純物があり、そのことで、祈りの内にも、小さな声が「お前は偽善者だ」と叫び、苛む。私が心の中で常にこのような葛藤を覚えていることは、誰も知らない。私が皆の知らないところで、このような、心を悩ましていることを誰も知らない。誰も理解できない。「何故、イエスを知り、53年も信者であるのに、そのような苦しい祈りをしているのだ。」と人は言うかも知れない。しかし、これこそ私の肉のゲッセマネであり、イエスのお苦しみの祈りの追体験の一部だと考えられないだろうか。人間はいつまでたっても、どこまで行っても不完全であり、父なる神に「このような醜い私をお赦し下さい、イエスの御名のゆえに私をこのまま受け入れて下さい」と願うしか立場がない。
「イエスよ、赦して下さい。私はこのような小さなものです。利己心がプンプン匂ってきて、何事も純粋な心で人を助けることができません。人どころか、自分ですら助けることが出来ない、塵灰のような存在です。でもイエスが、御名の故に、もう一度私を生かし、聖霊により力を与え、十字架の赦しの血潮をもって、私の汚れた衣を洗って下さるならば、私は生きることが出来ます。私の心に、復活の命のエネルギーを注いで下さるならば、私は立ち直り、歩いて進んで行けるようになります。キリストの御名によって『狭い門』(マタイ7:13)から入れるようにしてください。」と祈るばかりです。
さて、夜もかなり遅くなっていたと考えられるが、ゲッセマネの園に裏切り者のユダがやって来た。ヨハネによる福音書には淡々と事実のみが書かれて、出来事が進んで行く。しかし、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)を見て行くと、もっと詳しいこの場の状況が分かる。如何にユダが醜悪な裏切り方をイエスに対してしたかは驚くばかりです。
イスカリオテのユダは、イエスを捕えるため、下役どもの先頭に立って案内役を買って出ている。『イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。 』(マタイ26:48)。そして、イエスに近づき、何と挨拶の接吻をした。その時イエスは、ユダに対して、『友よ』(同:50)と言われた。そして『イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。』(ルカ22:48)。これは怒りの言葉ではない、非常に悲しみがこもった言葉だと私は考えます。私だったら、たぶん、ユダの横面を、手のひらで、張り飛ばしていただろう。また、『友よ』などと呼びかけることができただろうか?私だったら「この裏切り者めが、何しに来たんだ」と罵倒していたに違いない。イエスが裏切り者ユダに対してすら『友よ』と呼びかけた時、それは皮肉でもなく、表面的な取り繕いでもなく、ましてや偽善でもなく、本心から、憐れな滅ぶべき『怒りの器』(ローマ9:22)に対して言っていたのだと思う。イエスはユダの罪をも、心から赦しておられた。でないと『友よ』と本心から言うことは出来ない。
後刻、イエスに有罪の判決が下った頃、ユダは自責の念に駆られ、イエスを敵に売り渡した時に、祭司達からもらった報酬の銀貨30枚を、神殿に投げ入れ、首を吊って自殺してしまう(マタイ27:5参照)。もしユダが、この時自殺せず、後になって悔い改め、復活なさったキリストとお会いしていたなら、ユダは赦されていたのではないかと私は思う。ユダは罪責感のゆえに、耐えられず、自由意志によって自殺を選択し、自分で自分の滅びを定めたのだ。それともユダは滅びの器として予定されていたのでしょうか。これは議論の分かれるところです。
ところで、信頼していた人から裏切られるほどの大きなダメージがあろうか。最も信頼していた部下から裏切られ、業務上の横領や、大きな損害が会社に与えれる時、上司は嘆くのです。そのようなニュースを耳にすることは、珍しくない。この世では頻繁に起きています。水原一平の例を挙げるまでもない。
私も局長時代にそんな経験をした。私が遭遇した事件は、金銭的なトラブルは、そこに関与していなかったのが、不幸中の幸いであった。部下の書類の取り扱いが悪く、大変な目にあわされた。具体的なことは個人情報も関わることなので、書くことは差し控える。自主退職をするように面談したが、結局、今の仕事を続けたいと言う彼の意思を尊重することになった。私がどんな思いでこの事件に対処し、どれほどの導きを、彼の更生の為に祈ったかは、神がご存知です。もうこれ以上のことは触れることはやめよう。しかし、郵便局を退職後8年たった今でもそのことは、忘れられない。私にも、監督責任の落ち度があったし、部下は懲戒は受けたものの、以後も職に留まることが出来たのは、神の奇跡的な救済であったと言う他はない。ちなみにこの件に関しては、私は被害者であるので、何のお咎めもなかった。
さて、『イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。』 (ヨハネ18:4~5)イエスは何の抵抗もしなかった。イエスに手をかけようとして人々がイエスに近づいたその時、不思議なことが起きた。祭司長、律法学者、長老達から遣わされた(マルコ14:43)、人々は神の威光に打たれ、後ずさりして倒れてしまった(ヨハネ18:6参照)。
再び自分を捕えるようにとイエスは捕縛者どもに言った。『そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。』(ヨハネ18:7~9)
あなた方は、倒れてないで、私を捕えよ、『「わたしである」』と言ったではないか。』と重ねて言われ、自分から捕縛された。これはイエスが単に人間の暴力や肉の力によって捕えられたのではなく、聖書の預言の実現のために、自分から進んで捕縛されたことを意味しています。『父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。』(ヨハネ10:17~18)とあるように、イエスは自分から命を捨てたのです。
捕縛者を蹴散らしてこの世で王となることもできた。イエスは表面上この世の権力によって殺されたように見えるが、実際はそうではなくて、イエス自ら進んで捕縛され、十字架について行ったのです。そして、弟子達は逃がしてくれるように下役どもに頼んでいる。それは、『わたしは一人も失いませんでした」』と言われたイエスの言葉の実現であった。
血気盛んであった弟子ペテロは、自分の剣を抜いた。祭司からイエスの捕縛の為に、派遣された下役の一人であるマルコス(ヨハネ18:10)の右耳を、剣で切り落とした(マタイ26:51)。でもイエスは剣をさやに納めるようにペテロに命じ、マルコスの切り落とされた耳に触れて、お癒しになった。右耳を切り落とされれば相当痛いはずであり、血がかなりの勢いで噴出したはずです。その敵の、耳元から噴き出ている血ですら、イエスはピッタリと止血なさり、その場ですっかりお癒しになった。イエスが救い主であり、神の子であることは、この奇跡を見れば、ハッキリしています。何故、当時の人々は気が付かなかったのでしょうか。
ここで有名な言葉がイエスの口から発せられている。多くの方々が一度はお聞きになっている言葉です。『剣を取る者は皆、剣で滅びる。』(マタイ26:52)
軍事的力による建国は、軍事的力によって滅びるのが常です。かつて繫栄した、古代のローマ帝国然り、第二次世界大戦のナチス・ドイツ然りです。日本の歴史を振り返っても、鎌倉、室町、安土桃山、徳川、各時代武力によって建国され、武力によって滅びて行った。しかし、キリストによって築かれて、聖書の言葉に基づいて、私達の心の中に打ち建てられた、神の国は、滅びることなく、全世界に宣べ伝えられ、旧教、新教合わせて、全世界に24億人ものクリスチャンがいて、未だ滅びず、さらに教勢は拡大しているのです。
『わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」 』(マタイ26:53~54)。
イエスは必要なら父なる神が、当時世界最強だったローマ軍団に対抗できるような、天使からなる12軍団(1軍団5,000人として6万人の天使)以上を、祈り求めるなら、今すぐにでもイエスの為に送ってくださることを知っていた。しかし、そんなことになれば聖書の言葉が実現できなくなる。イエスは、この時のため、十字架にかかるため、この世に来た。しかし、このことは、イエスがまぎれもなく人類最強の方であることを私達に教えている。イエスは最初から神の子であるので、その威厳ある偉大な力強さについても忘れないようにしよう。
かなり横道にそれるが、SDAはたとえ徴兵されても、銃を持つことを拒否します。良心的兵役拒否の一部の形です。公式的には衛生兵としての従軍を認めています。衛生兵として従軍し、国家の義務を果たすことを推奨しています。これは教団として、社会、国家への義務を果たしたうえで、戦争参画への妥協点であり、このことを私は否定するつもりはない。銃を持たないことにより、絶対非戦の原則を貫き、国家への義務を果たしながら、『汝殺すなかれ』の戒めを守る姿勢は評価できます。
考えて見れば、敵も味方も神の前に命は平等です。神の戒めである『汝殺すなかれ』の原則は、すべての人が対象です。敵も味方もない。もちろん、自分の命も尊重すべきです。自殺はダメ、自分を緩慢に、無駄に殺してもいけない。これは禁酒禁煙、自然食、健康の原則にも繋がって行く考え方であるが、ここでは、煩雑になるので省きます。
ところでイエスは聖書の別の場所で、『しかし今は、.........剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。』(ルカ22:36)と言っているのをご存知だろうか。弟子達はイエスの言葉に応えて言った、『そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。』(ルカ22:38)。
そうなのだ、言うまでもなく、ペテロは剣を持ったまま、イエスの弟子として、イエスと行動を常に共にしていたのだ。さて、ここに神学的な思考を働かせねばならない。何故イエスは服を売ってまで、剣のない者は剣を購入するようにと、おっしゃったのか。『二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」』とおっしゃったのか。今までイエスは弟子達と共にいて、悪者どもから陰になり日向になり守って来た。しかしこれからは預言された通り、贖罪を成し遂げた後、父なる神のもとに帰って行き、いなくなってしまう。もう十分に守ってあげられなくなるから、最低限の防衛的な武装はしておけと言うことではないだろうか。もちろんこれは私の個人的な解釈です。
弟子12人中2本しか剣の所有はなかった。弟子全員ではなく、全体から見れば2割弱の武装であった。そして、イエスは少なくとも、宣教期間中、ペテロが帯剣しているのを黙認なさっていた。後一人は誰が持っていたのだろうか、記述はない。イエスの真意はどこにあるのだろうか?最低限の防衛的な武装をイエスは可とされたのではないか。この点について、絶対非武装の考えを取る方々もおられるので、私は何とも申し上げられないが、御言葉は御言葉です。それは、さらに考えれば、弟子の誰かによってなされた御言葉解釈ではなく、神の子イエス御自身が直接述べられた御言葉であるだけ重く受け止めるべきです。
『しかし今は、.........剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。』(ルカ22:36)
『そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。』(同:38)
さて、祭司が遣わした下役どもはイエスを縛り、まずアンナスの所へ連れて行った、アンナスは、大祭司カヤパの舅であった。カヤパこそ一人の人が民衆のために死ぬ方が良いと、預言した人です。『彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。 このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。』(ヨハネ11:49~52口語訳)。
勇敢にも、シモン・ペテロともう一人の弟子(ヨハネ)がイエスの後について行った。ヨハネは大祭司の知り合いであったので、先に、大祭司の家の中庭まで入った。ペテロは入れず、外にいたが、ヨハネが出てきて、門番の女に話して、中庭まで引き入れた。ところが、『門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。』(ヨハネ18:17) 最初は中に入って様子を探るための軽い受け答えだったようだ。「自分はイエスの仲間だ」と言えば、そこでもう中に入れなくなる。止むを得ず『「違う」』と答えたのであろう。しかし、段々ぺテロは強烈にイエスを否定するようになって行く。
その日は夜分に冷え込んでいた。まだ4月の初旬の夜半過ぎです。エルサレムは山の上にある町です。夜は結構冷え込む。寒くて、中庭の真ん中に炭火が用意され、人々は火を囲んで雑談をしていた(ルカ22:55参照)。ペテロも素知らぬ顔をして、人々と火にあたっていると、『シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。 』(ヨハネ18:25)
ところが一時間ほどたって、三度目に聞いてきた大祭司の下役は、イエスを捕えに行った連中の一人であり、おまけにペテロが右耳を切り落とした、マルコスと言う男の身内の者であった。私はイエスを捕えに行った時、確かにお前を見たぞ、お前は身内のマルコスの耳を切り落とし、私はそれを目撃した、と詰め寄って来た。そこでペテロは、激しくイエスの弟子であることを否定し始めた(ルカ22:59~62参照)。三度目の否定は強烈だったようです(マルコ14:71,マタイ26:74参照)。
鶏は、三度目の否定の直後に鳴いたようです(ヨハネ18:27)。しかし、一度目の鶏の鳴いたのは、一度目の否定の時だったとマルコによる福音書(マルコ14:68)では書いている。そして二度目に鶏が鳴いたのが、三度目に主を激しく否定した直後だったとマルコは書いている。『すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。 』(マルコ14:71~72)
そして、その時イエスは、振り返られて、ペテロを見つめられた。ペテロは主の憐れみに満ちた眼差しに、自分の不甲斐なさ、『「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」』と言う言葉を思い出し、門の外に出て男泣きに泣いた。このことがきっかけとなって、ペテロは今までの、出しゃばりで自信過剰な自分の行動を反省し、自我が砕かれ、謙虚な人間に生まれ変わり、本当のイエスの弟子として、成長して行くのです。
ヨハネによる福音書18章にはこの事件について、他の共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のようにはあまり詳しくは触れていない。その理由は、ヨハネによる福音書が他の福音書よりも、後になって書かれたからだと思われる。既にこのペテロの裏切りの事件は、多くの兄弟姉妹たちに読まれ、知れ渡っていたので、ヨハネは軽く触れる程度で済ませたのではないか。
一度目と二度目のペテロに問いただそうとしたのは、マタイによる福音書では、両方とも女中になっている。これは弟子達が記憶を基に書いて行ったことなので、誰かが取り違えた可能性がある。ヨハネによる福音書では一度目が、門番をしていた女中。二度目は火にあたっていた人々(特定はされていない)。三度目は、マルコスの親戚の者、イエスを捕えに行った、下役の一人である。
また当日は寒く、炭火が起こしてあり、火にあたっていたが、ルカによる福音書では人々もペテロも、火の周りに座っていたと書いてある(ルカ22:55参照)。しかし、ヨハネによる福音書にはペテロも人々も立って火にあたっていたと書いてある(ヨハネ18:18,25参照)。
私は公平に見て、ヨハネの記事が一番正確であると考えます。何故なら、中庭で、このことの一部始終を目撃していたのは、大祭司カヤパの知り合いであるヨハネ自身だからです。
尚、四福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の記述に多少の差異があり、表現の仕方が違っていたとしても、聖書の肝心なメッセージは人々の救いの為に書かれたものであり、救いには何の支障もないと言うことは私の確信です。各福音書の同一事件に対する、記述の細かな違い、このことを持って聖書は信用できないなどと考え違いをしないで戴きたい。
例えば、現代でも一つの事件をこの世の裁判官が裁くのに、たくさんの証人が呼ばれる。検察官、弁護士達が、それぞれの主張を証明するため、様々な証人が立てられ、真実が追及される。しかし、被害者、加害者の言っていることが食い違い、真実は中々分からないことが多い。人間は立場ゝによって、強調するところが違い、一つの事件でも印象に残る場所が違う。そして人間の記憶は、時間がたてばたつほど曖昧になって行くものです。
聖書はそんな有限な人間の言葉と、記憶を通して書かれたのであり、時間がたてば、記憶が薄れて行くような、性質を持つ人の限界のある頭脳を媒介として書かれたのです。その中で神の救い、イエスの贖いの中心メッセージーが浮かび上がればそれで良しとしなければなるまい。私も曖昧な記述は嫌いで、物事の真相は一つしかないのだから、四福音書の記述も細かな点まで、一致していたら、スッキリしてどんなに良いことかと思う。しかし、どうもそのようにはいかないようです。
「木を見て、森を見ず」などとならないように気を付けよう。聖書はあくまでも、私達の救いに対して十分な情報を提供しているが、科学の本でもなければ、歴史の本でもない。また、医学や、栄養学の本でもない。私達の信じるところによれば、地球も自然界もその中の人間も神が創造されたのであるから、聖書の中にある、食物や、疾病、健康等に対するメッセージは、被造物である人間や自然界を研究してきた学問と一致するところはあるだろう。
しかし、科学は聖書とは相容れない進化論的な思考が土台になっていることに注意しよう。科学は、神の存在と神による地球、生命の創造を認めない。宇宙も地球も、生命、人間、動植物も、偶然に出来たと言う前提に成り立っている。地球は46億年前に出来上がり、生命は36億年前に一つのアメーバーから誕生し、それが今のように長い時間かけて進化したのだと言っている。私達の信じることとは、正反対の立場を前提として、成り立っている。
聖書は、私達の魂を救う、永遠の命を与える本なのです。科学は私達の魂の救済に対しては無力です。
アンナスの尋問のところに戻る。アンナスは弟子達のことやイエスの教えのことについて、問いただした。
『大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。』 (ヨハネ18:19~24)。アンナスはひと通り調べただけで、イエスの縄もほどかず、手を縛ったまま、イエスを、大祭司カヤパのもとに送った。
カヤパの所での尋問模様はヨハネによる福音書18章では省略されている。そして、すぐ、28節からピラト総督にイエスの身柄が送られている。既に夜が明けようとしていた。東の空から明るくなり始めていた。
大祭司カヤパのところでの取り調べの様子はマタイによる福音書を読むと、神の神殿を打ち壊し、3日で建て直して見せるとイエスが言ったとか(これは建物の神殿ではなく、真の神の宮であられるイエスの肉体が毀たれた後で、3日後に復活することを表していた)、色々な証言が出たが、結局、イエスが神の子であることが死刑の決定的な理由になった。
『大祭司(カヤパ)は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒瀆した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。』(マタイ26:63~66) イエスが神の子であり、自分を神と等しいものであると言うことが、神を汚し、冒涜したことになるのだから死罪だとカヤパは断定した。
ヨハネは大胆にカヤパのところでの審問を省略し、ピラトのところにおける訴えの様子の描写に移る。
朝早く、夜明け頃、イエスがピラトの所に、カヤパの所から移送されてきて、ピラトは何と思ったことであろう。ユダヤ総督ピラトは、ローマの貴族階級の出ではなく、軍人階級の出であった。ローマの属州には2種類あり、比較的統治しやすく、経済的にも豊かな貴族階級が総督として任命される元老院属州と、経済的に貧しく、しかも治安が良くないので、軍人が総督として任命される皇帝属州があった。ユダヤはローマの皇帝属州ではあったが、シリヤのダマスコにローマ総督が置かれ、ユダヤには、ユダヤ人の王が名目的に置かれ、間接統治であった。この時代、直接統治になったり、間接統治になったり、色々動いていたらしいが、詳細は歴史学者に委ねよう。
この時、朝早く明け方に起こされたピラトは、不機嫌で、このようなめんどくさいユダヤ人同士の、揉め事に関わりたくなかったのではないかと推測する。それも実際の犯罪ではなく、ピラトが信奉しているローマの神々のことでもなく、ユダヤの神に関する、誰がメシアであるかと言うような、宗教論争に、本来興味もなかったと思われる。
さて、イエスを総督官邸に連れてきて、ユダヤ人の下役どもはイエスを引き渡した。ところが彼らは過ぎ越しの祭りの食事をする為に、汚れたローマ総督邸などには入りたくはなかった。それで誰も総督邸の中に入ってこなかった(ヨハネ18:28参照)。 ピラトは、めんどくさいと思いながらも、しぶしぶ総督邸を出て、自からユダヤ人のもとに出向いた。たぶん、総督邸の玄関の外で、これらのやり取りがあったと考えられる。裁判の席は外庭の広場にあったのであろう。ピラトはユダヤ人同士の宗教問題での論争や、争いに関わりたくなかった。お前たちの宗教の問題で、イエスが、自分を神の子、メシヤとしているのが気に入らないのなら、自分達で裁けばよいだろう、私の所に連れて来るな、などとピラトは思っていたのかも知れない。それが本心であろう。
『ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。』(ヨハネ18:31)しかし彼らユダヤ人は実は容赦なく、ローマ総督の許可なく、全く彼らの宗教問題で、律法に背いた人々を石で打ち殺すこともあった。場所は違うが、パウロのルステラでの迫害や、ステパノの殉教を見れば、そのことは明らかです(使徒行伝7:57~60,14:19参照)。このようなことが行われていたのに、イエスの場合だけは、裁判に拘り、ピラトの処刑に対する権限を認めていることは、これは詭弁に私には思えます。
たぶん、イエス処刑の権限をピラトに任せることによって、義人イエスを殺す責任から、彼らは逃れようとしたのでしょう。カヤパのところでイエスが神の律法違反をしたことを立証しようとして、彼らは様々な証人を立てたが、証明することは出来なかった。最後はイエスが神の子である、と言うことが死罪の決め手として使われたのです。
彼らが、義人イエスを殺す正当な理由がないので、その責任をピラトに負ってもらおうと考えて、ローマ総督の裁定に拘わったのだと私は思う。それ以外に正当な裁判手続きを踏む彼らの今回の態度は考えられない。ユダヤ人の奸計には驚くべきところがあります。 むろん、正当な裁判手続きが、正当な裁判内容であるとは限らない。イエスは不当な裁判で死刑を宣告されたのだ。
『彼は暴虐なさばきによって取り去られた。 』(イザヤ53:8口語訳)の預言の直接的な実現であった。
ピラトはこの件がユダヤ人のイエスに対する宗教的嫉妬心から出ていたことをハッキリ見抜いていた(マタイ27:18参照)。だから今回の騒動が自分の責任になるのが、内心面白くなかった。彼は死刑を宣告できる立場にあるとは言え、ユダヤ人のずる賢さに、うんざりしていたはずです。
そこで、聴衆の面前で、自分にはこの責任はないことを示そうとして、水を持ってこさせ、自分の手を洗って見せた。『「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」』 (マタイ27:24)と言った。自分の手をイエスの血で汚したくない、とのピラトなりの意思表示であった。
さらに『「その血の責任は、我々と子孫にある。」』(マタイ27:25) と群衆が言うのを聞いて、イエスを十字架につける決定を下した。
後にローマ軍によって紀元70年にユダヤは滅ぼされる。国家を失ったユダヤ人達は流浪することになり、様々な迫害に耐えて行かねばならなかった。『「その血の責任は、我々と子孫にある。」』(同27:25) とある通り、 イエスの血の責任は子孫にも及ぶことになった。ヒットラーによるホロコーストがこの言葉の実現とは思いたくないが。
しかし、今やユダヤ人は現在のイスラエル国家を1948年設立し、パレスチナ人を逆に迫害しています。このことは聖書的な預言の中でどのように解釈して行くのか、私の心は定まっていない。色々な解釈はあるが、民族としてのイスラエル、選民の立場はステパノの迫害死をもって終わったのだとSDAは解釈している。今のイスラエルは、霊的イスラエルではなく、単なる世俗的国家としてのイスラエルであって、霊的イスラエルはキリスト教徒に引き継がれていると理解している。
ピラトは妻が夢を見て、『「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。』(マタイ27 :19)と伝言されていたが、これ以上何を言っても無駄なばかりか、騒動が起こりそうなので、イエスを鞭打ち、十字架につけるために、ユダヤ人達に引き渡した。
ルカによる福音書には、ピラトのところに連れて行く前に、祭司長、律法学者たちがイエスをサンヒドリン議会に引き出し、尋問したことが記されている(ルカ22:66~71参照)。また、ピラトが決定を下す前に、たまたまエルサレムに来ていた、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスのところにも送られている(同23:6~12参照)。しかしヨハネはこれらのことは省略している。
『祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」』( ヨハネ19:15)とへつらいの言葉を述べた。つまりユダヤ人の王はローマ皇帝です、祭司長たちはイエスを王として信じません。もしピラト総督が、イエスを処刑しないで、皇帝の統治に逆らって自分がユダヤの王などと主張していたこのイエスを免罪にすると、ピラト総督自身が皇帝に逆らうものとなるではありませんか、と言うユダヤ人の主張に負けてしまった。ピラトは内心、そうなると、自分の身も危うくなると考え、イエスを十字架につける許可を出したのだ。
さて、少しヨハネによる福音書に戻って、ピラトとイエスの審問のところに焦点をあててみよう。
ピラトは仕方なく、もう一度官邸内に戻り、自分の前にイエスを引き出して、イエスと対面で話をすることになった。『お前がユダヤ人の王なのか。』(ヨハネ18:33)、しかしイエスは自分がユダヤのこの世の王などと言うことは、一言も主張したことはなかった。この世の王はローマによって任命されるので、自分が王と名乗れば即座にローマによって捕らえられるのをイエスは良く知っていた。『「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。』(同18:37)とイエスはピラトに答えた。
イエスは、魂の平安と、聖霊による永遠の命の救いを持って、神の国を人間の心の中に建てるために、父なる神のところから来られた。その宣教の主題は、『神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」』
(マルコ1:15)に端的に表されている。この意味で、イエスの国はこの世の国ではない。どんなに多くのこの世の富をもち、贅沢に、何不自由なく暮らしていても、魂が救われ、心に平安が無くては、その人の心の中は、真っ暗闇であり、神の国はどこにもない。もし、イエスが、心の中に神の国をつくるのではなく、この世の王国をつくろうとし、その当時のユダヤで王となることを目的としていたなら、イエスの弟子達は捕えに来た下役どもと、戦っていただろう。
『わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」』 (ヨハネ18:37~38)
イエスが神の元からこの世にお出になり、神殿で行われていた犠牲制度において日々身代わりに殺される羊はイエスを表していた。神に捧げられる小羊の本体として、イエスは全人類の罪を贖うため、身代わりになって十字架にかかり、ご自分の命を捧げられたのです。イエスが身代わりに罪の刑罰である死を引き受けて下さった、そのことを信じる総ての人々に永遠の命をお与えになる。そして救われた人々が、やがて復活する、先駆けとして、まず御自分が復活した。父の御愛と、救いの全計画をお示しになった。父なる神の存在と自分がそこから来て、やがてそこに帰り、また神の子として、 再び地上に再臨し、この地上を造り変え、新たなエデンの園を私達に用意して下さいます。これら一連のことが『真理』です。それは神の言葉である聖書が、イエスこのお方こそ、『「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』(ヨハネ14:6)と言っておられるその通りのことなのです。
しかし、数行で説明のつく真理ではあったが、この時代の為政者ピラトには、分かるはずもなかった。彼はイエスの言葉を受けて『「真理とは何か。」』と言った。真理そのものの方の前にいたのに、真理に気が付かなかったのです。『「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」』(ヨハネ19:11 ) 真理である方の前にいて、真理を悟ることができず、自らの裁判でイエスを死刑にしたことは、ピラトにとって大きな悲劇です。そして、彼が自分の保身のために、イエスを十字架刑につけるため、ユダヤ人に引き渡したとすれば、いくら水で手を洗ったとしても、神の裁きを免れることは出来ないだろう。
私達も『「真理とは何か。」』を常に追求しよう。まだ、人生の時間があるうちに、今と言う時間がまだ与えられているうちに、真剣に、果たして聖書が、神からの真理を伝える真のメッセージであるか、イエスが真理であるかを見極めて行こう。
さて、ピラトは『わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」』とのイエスの言葉を聞いて、もう一度、官邸の外で待っていたユダヤ人達の所に行った。『ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。 』(ヨハネ18:38 )。 そしてイエスを釈放しようと試みた。そうだ、過ぎ越しの祭りには一人の囚人を、総督の権限で、釈放することになっている、この慣習を利用して、イエスを釈放してやろうとピラトは考えた。
そこで、捕えていた、暴動と殺人を犯した極悪人バラバを釈放するか、それとも、イエスを釈放するか、ユダヤ人達に迫った。しかし法廷ではイエスを死刑にしてバラバを釈放するようにとの声が優った。『しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。』(ルカ23:18)。『ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。 』(同23:23口語訳)
これらのことが行われたピラトの法廷はどこにあったか。『ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。』(ヨハネ19:13)
ガバタはエルサレムの神殿の北にあったローマ軍の駐屯地アントニア要塞の中にあった。過ぎ越しの祭りには、ユダヤ人が各地から大勢集まるので、万が一揉め事が起きるのを警戒して、ピラトはローマ兵を連れてこの要塞の中に滞在していた。
余計なことかも知れないが、ピラト総督官邸の跡地は、今は男子校(ウマリヤ小学校)の校舎が建てられている。
さて、前述した通り、ユダヤ人の王を認めるならば、あなたはローマ皇帝に背くことになる、と言うユダヤ人の主張がピラトを動かした主要な動機だった。何れにせよ、彼が保身のために、不当な裁判を行い、イエスを死に至らしめたのだから、その責めは負わなければならない。もちろん、それは最後の審判の時に明らかになります。ピラトだけでなく、祭司長、律法学者、さらにイエスを死に至らしめた、関係するすべての人々が、最後に審判される時が来ます。 『見よ、彼(イエス)は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。』 (ヨハネ黙示録1:7口語訳)と書いてある御言葉が、世の終わりに実現します。
ただ私達も霊的には、主を十字架に付けた群衆の中の一人ではなかったかと考えることは行き過ぎだろうか。 『しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。』 (ルカ23:21)。「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ中のその一人が私達なのだ。しかし、私達がそのことを認め、悔い改めるならば、ペテロをじっと見つめられた、主のあの優しい眼差しを持って私達をもう一度迎え入れてくれるだろう。自分の欠点に失望、落胆しても、決してユダのように自暴自棄となって自らの命を絶つようなことをしてはいけない。
この十字架の物語が示していることは、主の十字架を無駄にしてはいけないと言うことです。私達が自分の内に何の希望もない時ですら、御霊の導きを求め、主の犠牲の有効性を信じるならば、必ず救われます。生きて、前へ進んで行くことができるのです。私達は死んではいけないし、翻って生きるように神は呼び掛けておられます。決して人生を投げ出してはいけないのです。
『彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。』(エゼキエル33:11)