2023/1/28(土)SDA八王子教会礼拝説教原稿

『そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。』(ヨハネ10:22)。

 今朝はヨハネ10章に出て来る喩え話から様々な教訓を得て行こうと思います。その話に入る前に、10章22節に出て来る『神殿奉献記念祭』がどんなお祭りであったか、その起源、意味について考えて見ましょう。口語訳では「宮清めの祭り」と訳されています。

「ハヌカ(ヘブル語で奉献、奉納の意味)の祭り」とか、あるいは、この祭りの起源が、光をともす油にあるので、「光の祭り」とも言われます。

最初私がこの個所をだいぶ昔に読んだとき、旧約聖書には書かれていなかったので、その意味が分かりませんでした。「宮清めの祭り」なんて旧約聖書の中にあったかなと思いました。

実は旧約聖書の中にはこの祭りの記事はないのです。この祭りの事件が起きたのは、聖書年代としては比較的新しく、紀元前2世紀頃のことでした。このことは、不勉強で恥ずかしいと思っていますが、ヨハネによる福音書の研究をしていて、私としては最近分かったことです。

旧約聖書の最後に書かれたマラキ書は、紀元前440~400年頃成立しました。旧約聖書が書き終わった後、約250年後、紀元前2世紀に起きた出来事を記念するお祭りなので、旧約聖書には書かれていないのです(外典にはこの事件が書かれています)。

 その記念になった出来事とは紀元前167年頃、シリアの王アンティオコス4世エピファネスが、ユダヤの国を占領したことです。

彼はエルサレムの城壁をこわして家々に火を放ち、ユダヤの信仰を迫害し、ユダヤ神殿を汚しました。エジプトと戦争をして勝利し、アレキサンドリアを占領しました。この遠征の帰りに、エルサレムを攻め、8千人を殺し、4万人を捕囚として連れ去り、さらに4万人の女や子供が奴隷として売り、偶像の神ギリシア神話の最高神ゼウスをユダヤ神殿に祀り、偶像崇拝を強制し、神殿を汚したのです。

ギリシアの有名なアレキサンダー大王がインド遠征から帰り、バビロンで病死してから、ギリシア帝国は分裂してしまいました。エジプトを支配したのがアレキサンダーの部下の一人であったプトレマイオスでありプトレマイオス朝の創始者となりました。

さらにシリアを中心に領土を支配したのがセレウコス朝の創始者アンティオコス1世でした。そこから4代目の王がエピファネス4世です。エピファネスの意味は顕神王です。偶像の神、ギリシアのゼウス神の顕現と言う意味でしょうか。Αντίοχοςは古代ギリシアで使われた男性の名前です。

アンティオコス4世エピファネスはエジプトのプトレマイオス朝とも戦い、それに勝利し、もう少しでエジプトを占領するところだったのですが、ローマ帝国の干渉により、エジプト占領を諦めました。

また、プトレマイオス朝に勝利しエジプトのアレキサンドリアにいた時、ユダヤで反乱がおきたのです。それは大祭司職に対するもめごとに絡んだ反乱でした。

この頃ユダヤの大祭司職はセレウコス朝の支配の下、たくさんの貢物をシリアの王に収めることによって得られる、この世的な地位へと堕落していました。

誰が大祭司職になれるかをめぐって、醜い内部争いがユダヤの国に起きていたのです。その争いの中、メネラオスに大祭司職を奪われた前の大祭司ヤソンが反乱を起こし、それを怒ったアンティオコス4世エピファネスはシリア軍を連れてエジプトから戻り、ユダヤを破壊し、占領することになりました。ヤソンは戦いに敗れ戦死しました。

戦いに勝ち、エルサレムを占領したアンティオコス4世エピファネスは当時のヘレニズム文明(ギリシア文明とオリエント文明の融合)を継承しており、ギリシア神話で有名なゼウス神を信仰し、ギリシアの信仰、価値観をユダヤ民族に強制しました。ユダヤ神殿を汚し、ギリシアの神ゼウスをユダヤの神殿に祀り、ゼウス神殿としました。偶像崇拝を強要し、さらに、聖所の中に入って聖なる器具を略奪し、安息日を守る者、割礼を行う者は死刑にしました。ユダヤ神殿の中にゼウスの像を設置し、ユダヤ人が嫌がる豚の捧げものをしたと伝えられています。

 この圧政に対して、紀元前167年ハスモン家出身のユダ・マカバイが反乱を起こし、ユダヤは勝利し、神殿は回復され、ユダヤのハスモン王朝が成立して行きます。マカバイ戦争(BC167~ BC142)とも呼ばれます。

 余談になるが1747年ヘンデルによってロンドンで初演された「見よ、勇者は帰りぬ」はユダ・マカバイを題材にした曲であり、日本基督教団の讃美歌130番はこの曲を元にしています。

アンティオコス4世エピファネスはその後どうなったかと言うと、戦いにおいて、つまずき倒れ怪我をして、傷口から毒が入り、もだえ苦しみながら死んだと言われています。紀元前163年のことです。

その他にも諸説あり、病になり、身体が腐って、悪臭がするので誰も近づくこともせず、蛆が湧いて死んだとも言われています。

 ユダ・マカバイは、紀元前164年のキスレウの月(12月)の25日に聖所を清めました。祭られていたゼウス神の像を取り除き、聖所を本来ある姿に戻したのです。今も行われるユダヤ人の祭りハヌカはこの聖所を清めた出来事を記念しています。荒らされた神殿を再興したところ、奇跡にも、汚されていない、神殿の中で使う、聖なる油が発見されました。しかし、それはたった1日分の量しかなかったのです。燭台に灯したところ、神の奇跡が起こり、8日間灯は消えることなく燃え続けました。これを記念してハヌカの祭りは8日間祝います。メノラーは聖所の中にあった7枝の燭台であるが、この祭りではハヌキヤーと言う9枝の燭台を使用して、火を灯して祝う。最初の日は、真ん中とその隣の枝に火を灯し、8日間、次々に火を点けて行くのです。

 ちょうどこの時期は、偶然にもクリスマスの時期と重なることから、ユダヤでは、親が子供に贈り物をし、ドレイドルと言う四角錐の駒を回して遊びます(ユダヤ人はキリスト教徒ではないのでクリスマスはお祝いしません)。駒には「ネス・ガドール・ハヤ・ポー(偉大な奇跡がここに起きた)」の頭文字となるヘブル文字、ヌン、ギメル、ヘー、ペーという字が刻まれています。

 さらにハヌカの祭りではレヴィヴァと言う、じゃがいもをすりつぶして油を引いたフライパンで焼いたパンケーキのようなものと、スフガニアと言う、揚げたパンの中にジャムをいれて表面に粉砂糖をまぶした物を食べてお祝いします。日本のアンドーナツに似た食べ物です。

 実はハヌカの祭りが出てくる最古の文献は、このヨハネ10章22節です。『そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。』

 横道にそれるが、『荒らす憎むべき者』が誰か?(マタイ24:15、ダニエル9:27参照)、シリアの王アンティオコス4世エピファネスであると言う解釈も一部のキリスト教会にはありますが、SDA教会とはちょっと聖書解釈が異なるところです。私達はこの『荒らす憎むべき者』はアンティオコス4世エピファネスではなく、ローマ教皇権であると考えています。

さて、このヨハネ10章の中でキリストはご自分を、良い羊飼いと門の2つに喩えられました。順番が逆になりますがまず『門』の喩えから考えて見ましょう。

『わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。』(ヨハネ10:9)と言われました。この門を通って行かなければ救いはない。この門は釈迦でも、孔子でも、マホメットでもないのです。キリストだけが、救いに至る唯一の門です。

 『イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』(ヨハネ14:6)。

 また、キリストの門を出入りする羊は、必ず良い牧草にありつけるはずです。私達を、この世においても良い牧草にありつけるようにして下さると私は信じています。

 『イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」 』(ルカ18:29~30) 

 キリストが『わたしは門である』と言われた時、そこにいたイスラエルの人々は、エルサレムの城壁、北東に位置する羊の門を思い起こしたはずです。

 羊の門は、神殿において毎日の燔祭を捧げるために必要な羊を通すための門でした。朝晩必ず1回ずつ、常供の燔祭、また全焼の燔祭として、1歳の雄の小羊が捧げられていたのです。それは必ず焼き尽くさねばなりませんでした。これは人類の為に総てを捧げられて、ご自身を与え尽くされたイエス・キリストの犠牲を表しています。

さて、エルサレム旧市街には、他にも様々な門がありました。魚の門、エシャナ門(古い門)、エフライムの門、谷の門、糞の門、泉の門、水の門、馬の門、東の門、裁きの門等が挙げられます。これらの門の由来を考えて行くとき、それぞれ、霊的な教訓を得ることが出来ます。ただし、ここでは時間もないので深入りをすることは、避けましょう。

 イエスはオリーブ山近くの、エルサレムから東南の方向にあるべタニヤ村に弟子たちと共に滞在していましたが、そこから東門を通りエルサレムに入場しました。

東の門はメシアが通る門で、イエスはここを通り、ホサナ、ホサナ(アラム語救いたまえの意味)と賛美の歌声の中に、棕櫚の枝を下に踏みしめながら、子ろばに乗ってエルサレムに最後の入場をしました。そのことは旧約聖書ゼカリヤ書の預言の実現でありました。

 『娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。』(ゼカリヤ9:9)

 『二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」』(マルコ11:7~10)

イエスは何故親ろばに乗らずに子ろばに乗ったのか?それはイエスが神の子であったからだと私は思います。また何故人を一度も乗せたことがないろばでなければならなかったか(ルカ19:30参照)、それはイエスが人類の罪を負われる最初(で最後)の方であったからであると私は思います。

 キリストのエルサレム入場は、東門(黄金門)からであった。この門は、ユダヤ人の救世主がエルサレムの町に入る地点であると言われており、これを防ぐためにオスマン帝国のスルタン・スレイマン1世によって、最終的に紀元1541年に封鎖され、現在では中に入ることはできない。それはエゼキエル44章1~2節にある預言の実現として理解されています。

 『それから、彼はわたしを東に面した聖所の外の門の方へ連れ戻した。門は閉じられていた。主はわたしに言われた。「この門は閉じられたままにしておく。開いてはならない。だれもここを通ってはならない。イスラエルの神、主がここから入られたからである。それゆえ、閉じられたままにしておく。』

 神の言葉はその口から発せられれば決して空しく帰ることはない。必ずその力を発揮し、神が命じられることを成し遂げて行くのだと言うことを、この一事からも見てとれます。

 『そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。』(イザヤ55:11)

さて、イエスがヨハネ10章で言われた有名なご自分を表す『良い羊飼い』の喩えを次にお話ししましょう。

『わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。』(ヨハネ10:14~15)

 イエスは羊飼い、私達は羊です。良い羊飼いは羊のために命を捨てて、狼たちと戦います。悪い羊飼いは、敵が来ると、羊を捨てて逃げて行きます。雇人であって、羊の命よりも自分の命の方が大事だからです。イエスが人間のために命を投げ出すのは、神から与えられた最初からの定めでした。イエスはただ無駄に命を投げ出すのではない。命を捨てる(十字架)のは再び命を得る為です(復活)。

 私達もイエスに従う者として、同じ生き方を求められているのではないでしょうか。

『「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』(マタイ16:24)

また、『自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。』(ルカ9:24)神と人の為に、自分の時間や命を捨てて生きるように言われています。

さらに、『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』(ヨハネ15:13)

『イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。』(ヨハネ第一3:16)とも言われています。

しかし、それはこの世の命より、もっと大事な、キリストにあることによって得られる永遠の命を得るためです。この世の命、肉の命を神と人のために捨てて行くのは、真の霊の命を得るためです。

 しかし、私達もまた、自分本来の生まれつきの力では、人や神のために自分の命を捨てることが出来ない。やはりその場になれば、自分のこの世の肉の命が惜しくなり、羊を守ることをせずに、狼が来れば逃げ出してしまうのです。

しかし実際のところどうなんでしょうか?私達は俗人であって、聖人ではない。あまり無理すると信仰の躓きが起きかねない。どだい肉の生まれ変わっていない部分をたくさん持っている人間が、そうやすやすと、聖霊が助けてくれるとは言え、友のために自分の命を削り、命を構成している時間を、自分の生活空間を、多くの時間を費やしてきた趣味を、この世の肉の生き甲斐や価値観等を、それらすべてを捨てることが出来ようか。

 良く自分を謙虚に振り返ってみよう。私達はその仕事も含めてほとんどの時間を自分の肉の維持のために捧げているではないか。また趣味や旅行等、様々なこの世にあって許されている、この世が提供する肉の楽しみも含めて、ただ肉を維持し、楽しませるために活動し生きているのです。ほぼすべての時間を自分と家族の為に費やしているではないか。

 しかし、だからと言ってそのことは罪ではない、と私は考えます。何故ならそのようにしなくては、この世で生きて行けないからです。現状は、イエスを信じてはいても、肉とその欲望があり、それらを生きるために満たしていかなければならない、現実があるのです。

利己的にならざるを得ない、自己防衛的な様々な生き方の前に、自分も含めて純粋にはなり切れてはいないのです。本当に霊的には中々生きてはいないのです。この世的に生きていること、肉にあることすら当然のこととし、生きることそのものが罪深い傾向にあることに気が付いてもいない私達です。

 しかし、そんな私達が神と人の為に、自分を無にして、聖なる方向に舵を切って行けるとすれば、その力は自分にはないのです。ただキリストが私の中に、聖霊の内住によって、パラクレートス(助け主、救済のために呼び出されたもの)となってくださることによるしかないのです。

 どうしたら、良い羊飼いであるイエスの模範、十字架と復活を通して、真の永遠の命を得られるように、イエスの後に従って行けるのだろうか?『わたし(イエス)が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。』(ヨハネ10:10)とあります。 霊的命を豊かに受けるためには、ただ自己の肉の力を捨て、イエスの命を自らの心に宿し、イエスと一つになって行くしかないのです。キリストによって新生され、霊的に覚醒され、聖霊に満たされ、キリストの命を自分の命として生きて行く以外に方法はないのです。 

 『わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたし(キリスト)は命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」』(ヨハネ10:17~18)キリストには命を捨てる力もあり、命を受ける力もあります。これは神がキリストに与えられた掟です。私達もキリストと一体になるならば、キリストを通してこの力に与かれるのです。

最後に3~4か月前に私が経験したことの証をして終わりましょう。9月のある月曜日の日でした。相模原に住んでいる妹が家に来た時のことです。私はその日は、健康のために高尾山にでも登ってこようかと予定を立てていたのですが、ちょうど出かけようとしていた時に、妹が来たものですから、1時間ほど妹と話をしてしまうことになり、午後2時半過ぎになってしまいました。それから、出発したものですから結構遅くなりました。

ハッキリ覚えていないのですが、確か9月の下旬頃だったので、夕方と言ってもまだ暖かく、明るいうちに頂上に付き、明るいうちに下ってこれました。

私の通るコースは、最近は決まっており、裏高尾の日影沢林道を通って、水道の水を取水している、ポンプ施設のところから日影沢林道を離れ、左に折れて、逆沢作業道を裏手から登って行きます。上り下り2時間ほどのコースです。車は日影沢キャンプ場に入る手前の、日影沢林道の入り口、小さな橋を渡ったところに、10台ほど置ける無料駐車場があり、いつもそこに止めておきます。

その日も車で出発し、国道20号の西浅川の信号を小仏峠方面に右折、日影のバス停過ぎたところで、左折、日影沢林道に入り、入り口にある無料駐車場に止めて、何事もなく無事に、快調に登って来ました。

帰りは頂上から、逆コースです。逆沢作業道に出て、そこを下り切って、水道の取水の為のポンプ施設を右に曲がり、日影沢林道に出ます。日影沢のキャンプ場目指して歩き始めました。午後5時45分頃でしょうか。日没が9月下旬は午後5時半頃でしたから、まだ道は明るかったのを覚えています。

安全の為持って行った、ヘッドライトを点けるほどではなかったです。山では何が起きるか分からないので、携帯電話、ヘッドライト、予備用の乾電池、杖は必需品です。私は必ず持って行きます。

さて水道の取水施設の前を通って100㍍ほど下り、日影沢林道を沢沿いに歩いていたところ、何とこんな時間に一人の70代後半くらいの年齢の、御婦人が一人歩いて来るではありませんか。それもワンピース姿で、上に白っぽいカーデガンを着ており、山に来るには余りにも軽装です。

思わず、下る足を止めて立ち止まり「これから登られるのですか」と声をかけてしまいました。

そうすると、思いもかけない答えが返ってきました「家が近くにあるので、そこに帰るところです」とおっしゃるのです。私も最初「変だなー」と、一瞬思ったのですが「気を付けて行ってください」と行って別れてしまいました。

しかし、10㍍ほど下って行ってから、「だいたいこの先に家なんかないハズだ、どうもおかしい。」と思い直して、元来た道を振り返って、上って行く彼女の方にとって返し、「危ないから付いて行ってあげますよ」と言って、一緒に日影沢林道を城山の方面に向かって歩き始めました。

良く見ると、履いておられたサンダルの足を入れる部分が切れて、レジ袋のようなものに入れて持っていて、薄いナイロンストッキングのようなものは履いているが、ほぼ裸足で歩いているのです。「家はすぐそこですから大丈夫ですよ」と言いながら、どんどん歩いて行くのです。「何十年も通っている道ですから、そこの鉄道の走っている、踏切を越えれば、すぐ家です」

私は内心、「エー鉄道なんかこんなところにあったっけ?」一緒に歩きながら増々おかしいと思いました。そこで「おばさんの家はどこですか」と聞くと、「日野市豊田の○○団地だ」と言うのです。ここで初めて私は「この人は認知症なんだ」とハッキリ気が付いたのです。

そこで、お婆ちゃんを説得しようと試み、「ここは八王子ですよ、この道は日影沢林道で、真直ぐ登って行くと城山に出てしまいますよ。」と説明しても、「何か月か前に八王子に引っ越してきた」とか、どうも話が嚙み合わないのです。

それまでは彼女は、つかまらせてくれと言って私のベルト辺りを手でつかんで(今でもその感触が残っていますが)、上に向かって日影沢林道を私と二人でかなり歩いてしまっていました。もう水道取水施設の近くまで進んで来てしまいました。

これ以上先に進んでも意味は全くありません。そこでもう歩くのを止め、説得するのは諦め、「さあ引き返しましょう。私が車で来ているので、日影沢のキャンプ場の向こうの駐車場まで行けば送ってあげますから。」と言って戻ろうとすると、彼女はサンダルを脱ぎ、手で持ち、薄いストッキングで、直に地面を歩いて来たので「足が痛くてもう歩けない。」と言いだしてしまいました。

さあ私は心の中で、本当にどうしたら良いか考え、迷いました。もう辺りは暗くなり始めています。ここから20~30分ほど行けば日影沢のキャンプ場があり、入り口には無料駐車場があります。駐車場の手前まで行けば、携帯電話が電波を拾って電話出来ます。

しかし、今いる水道ポンプ施設の近辺は携帯電話の圏外になっていて、電話は使えないのです。

大きな杉の木が5~6本位右側の沢に沿って生えていたので、そのうちの一番太い木の根元を指して「おばさん、いいですか、このままでは遭難してしまいますから、私が助けを呼んで来ます。必ず戻って来るからこの木の根元で動かないで待っていて下さい。動いてはだめですよ。」と念を押して、ヘッドライトを点けて、暗くなりかけた、日影沢林道を日影のキャンプ場の向こうの駐車場目指して、走り始めました。

水道取水施設から、駐車場までは歩いて20~30分ぐらいの距離ですが、走って10分ぐらいで着くことが出来ました。キャンプ場前を通過して、入り口手前にある無料駐車場に向かって進むと、途中から携帯が通じるようになります。すぐ、道の途中で119番しました。歩きながら電話で、消防署の方に事情を説明します。

「そのお婆さんは怪我をしているのですか」「いやしていません、認知症で、サンダルの緒が切れて、裸足で足が痛くて歩けないので、逆沢作業道の手前、太い杉の木の根元で待っています。」

色々説明するのですが、中々思い通りこちらの意思が伝わらないのです。京王高尾駅の近くにある高尾の消防署に、バイクのレスキューがあるのも知っていたし、何度かその方たちの出動を見たこともありましたので、そのことも言ったのですが、派遣してもらえませんでした。

その待っている時間を大変長く感じました。駐車場の自分の車の脇で、ヘッドライトを手に持ち替えて、待っていると、20分ほどして、やっとサイレンの音が聞こえてきました。どんなにホッとしたことでしょう。

やがて、消防車、救急車、パトカーがやって来ました。しかし、バラバラに到着するのでその都度、私は今の状況を、お婆さんが認知症で、裸足でいること、逆沢作業道手前の、杉の木の根元で待っていることを説明しなければなりませんでした。

ドンドン救助の車が来てくれて、一番大型の消防車は入り口のところで待機、小型の消防車やパトカーは、中に入って行きました。合計7台もの車が来てくれたのです。最後の方に、タクシーが1台来ました。たぶんお婆さんの親族の方が警察の連絡で、駆け付けたものと思われます。

最後にパトカーに乗った警察の方が来て、また状況を繰り返し説明していると、助手席に乗っておられた私服の刑事の方が、「誰々さんではないか?」と言うのを小耳にはさみました。警察の方では、何かの関係で、この認知症の老婦人を知っていたような感じでした。

もう午後8時近くになっていたのでその最後に来たパトカーに乗っていた警察の方が、「もうあなたは帰っていいですよ」と言われました。

レスキューの人や20人以上の大勢の方が捜索に加わっているので、それらの方々にお任せし、自分は車に乗って帰ることにしました。私の車の、隣後ろに中型の消防車が止まっていて、駐車場から出せないので、動かしてもらって、自分の車に乗り帰途に就きました。

日影沢林道の入り口に中に入れず止まっていた大型の消防車に、一人運転手の消防士が乗っていたので、一旦そこに車を止めて、「お婆さんが発見されましたか。」と、気になって聞きました。すると「まだ、現認されてない。」と言うのです。

お婆さんから分かれてからあれからもうかなり時間がたっているのに、まだ発見できない、何故だかとても心配になりました。

甲州街道を帰って来てちょうど綾南公園の交差点ぐらいまで車で走って来たとき、スマホに警察の方から電話がかかってきました。

お婆さんを救出したとのことでした。

車を道の脇に止め電話で聞いたところ、あまり詳しくは、個人情報の関係か教えてはくださらなかったのです。ただ、近くの沢に落ちて、怪我をしていたそうです。そして、警察の方から、確認の為、お婆ちゃんの着ていた服装とか細かく聞かれましたが、はっきり覚えていないのです。ワンピースを着ていて、白っぽい色のカーデガンを着ていましたと言いました。

お婆ちゃんは動き回って足を滑らせ沢に落ちて、怪我をしてしまったのです。

家に着いたのはもう午後8時半過ぎていました。私の母や、家内の君子に、前もって電話はしておいたのですが、説明するのが大変でした。家で夕食を食べ終わってやっと一息つきました。

ですが、どうも気になってしかたがありません。スマホの着信記録から、もう一度警察の方にこちらから電話しました。「お婆ちゃんの怪我の具合はどうですか、気になってしょうがないのです。」と言うと、個人情報の関係でしょうかハッキリしたことは言ってくれないのです。警察の方との電話のやり取りの中で、命に別状はないと言うことの確認は取れましたので、やっとほっとしました。

私は後日、現場に行って見たところ、杉の木の根元のところから少し水道の取水施設のある方向に向かって歩いた途中、右側が草が踏み荒らされたようになっていて、そこが救助された場所だなとわかりました。そこの辺りの道路から、沢まではそんなに、高低差がなかったのを確認出来て、やっと安心できました。

さて長々と証をしてしまいましたが、私はどうもこの事件を振り返って、まだ自分としては心がスッキリしないのです。確かに私があそこで、あのお婆ちゃんと出会わなければ、きっとあの方は行方不明になってしまい、命を落としていたかも知れません。しかし救助するにも、もう少し何とかならなかったのだろうか。確かに現場の水道の取水施設があるところから、日影沢林道入り口の駐車場までは、歩いて20~30分かかります。お婆さんを杉の木の根元に残さないで、おんぶして駐車場まで連れて行くとか、他に方法はなかったのだろうか、色々と考えてしまうのです。

ヨハネは『イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。』(ヨハネ第一3:16)と言っています。

しかし、具体的、実際的にその場になって立たされて見ると、なかなか現実は複雑です。自分には力がなく、結局文字通り聖書の言葉通り生きることが如何に難しいことか、後悔が残ることばかりなのです。

人間のできる事には、限界があります。それがどんなに善いことであると分かっていても、その人が持っている能力、神から与えられた賜物の違い、環境や、周囲の状況によって、不十分なことしか出来ないのです。

『これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。』(ヨハネ第一3:19~20)

足りない、力のない自分を自覚するとき、私はいつもこの御言葉が大きな慰めです。たとえ私達の心が、何か十分でないことがあって、心に責められることがあっても、神は私達の心よりも大きな方で、すべてをご存知の方なのだから、このお方の愛の御手の中に総てをお委ねし、お任せして行く以外にないのです。神の御前に安心して行きましょう。

数日前 浅川の土手にある道路を歩いていた時のことです。堰堤の道路はサイクリングコースになっていて、私は京王北野駅の向こう、長沼橋の手前で、湯殿川と浅川が合流している地点が好きで、良くそこまで歩いて行くことがあります。歩いていて、この寒さの底とも言える寒く冷たい中、フト、道の端に生えている、芝生を見ると、何と既に、枯れた黄土色になっている芝生の中に、緑の芝が少しずつ生えてきているではありませんか。既に自然界は春の訪れを準備しているのです。冬枯れの中にあって、枯れた植物の中に、既に緑の芽吹きが始まっているのです。

私達も、歳をとって身体は衰え、やがては枯れ木のようになって行くのでしょう。でもそのような、外から見れば、ヨレヨレの、ヘトヘト状態の中にあっても、復活の兆しが始まっていると私は思うのです。キリストを信じ、キリストの御霊が私達を通して、外のこの世の中の人々の中に、品性と言う輝きを反映して行くならば、それこそが、やがて総てが造り変えられると言う希望の中で、キリストの香りを放つことなのです。

『キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。』(コリント第二2:14~15)


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