2024/11/19(火)日記

2025年01月02日

第4回目沖縄旅行 第2日目 2024/11/19(火)

昨日長旅で疲れていたのだろうか、よく眠れて、朝は8時頃目が覚めた。昨日のブログにも書いたが、NSさんの家はリビング、フローリング、敷いてあるカーペット類等、総て綺麗に清掃されており、各部屋も整理整頓されていた。私達を迎えるために、シャワー室、トイレ、洗面場の掃除を始め、フローリングのワックス掛け、ベッドを始め、清潔な寝具の準備と一人でどれだけ大変だっただろう。NSさんに大きな労力をかけてしまった。

KNさんは先に起きて、私が眠っている間に、玄関から外へ出て、家の周りを朝の散策に出かけられたようだった。

さて、髭剃りと洗顔を済ませて、寝ぼけていた頭がスッキリし始めた頃、朝からNSさんは台所で一生懸命何かを作っている。何と私達の為に朝食の用意をしてくれていたのだった。朝食は、グラノーラに豆乳をかけたもの、「八重岳ベーカリー」の黒パン、バターやジャム、たくさんの玉子焼き、ブルーベリー味のヨーグルト、サラダや果物等が豊富に用意され、食べきれないくらいだった。朝食前にはKNさんが毎朝礼拝に使っている、「デイリーブレッド」と言うインターネット放送による、聖書の御言葉を土台としたショートメッセージを聞いた。今朝のメッセージは「一人よりも二人で共に歩んだ方が良い」というような内容だったと記憶している。その後一日の祝福をKNさんに祈ってもらって、朝礼拝をした。

朝食後、徒歩で比嘉ドクターと奥さまの恵美子さんに会いに行くことにした。NSさんの家から歩いて7~8分で、「八重岳ゲストハウス」やチャペル、また比嘉ドクターの家や、スタッフの住まいがあるところに着いた。住居棟の前には、様々な有用な植物が植えてある、大きなガーデンがある。

朝の気持ちの良い自然に囲まれた八重岳の道を(狭いが舗装はされていた)3人で比嘉ドクターの家を目指して歩いた。あの穏やかな、時間を忘れることは出来ない。道路脇にシークァサーの木が無造作に生えており、たわわに実を付け、一部は熟して、ボトボト道路に落ちていた。

また、花々に、オオゴマダラ、クロアゲハ、アオスジアゲハ、様々な蝶が乱舞していた。大袈裟に言えば、もはやここは天国かと思わせるほどの雰囲気を自然界が醸し出していた。NSさんが脇に木の枝を引っ張って、シークァサーの実をいくつか取ってくれた。また別のところでは、スターフルーツを一つ取ってくれたが、残念ながらまだ未成熟で食べることは出来なかった。

パウダーパフの花がそこら中に生えており、その花は女性が化粧に使うパフに似た可愛らしい花だ。木の大きさは、本土のツツジの木くらいだ。比嘉恵美子さんによると、NSさんがどこからか種を持って来て植えたところ、それが増え広がったそうだ。その花に引き寄せられて蝶が集まっていた。

5分ほど歩いていると、どこからか人の声がした、それも外国語であった(後からフランス語であることが分かる)。

「八重岳ゲストハウス」の手前、住居棟のところに着き、その前にある大きなガーデンのところで、比嘉恵美子さんが農作業をしておられた。今年80歳になられたが、元気でとても若く見える。KNさんは40年ぶりに会ったそうだが、KNさんを見た途端、「Nさん、昔の面影が残っている、久しぶりですね。」とニコニコしながら迎えてくれた。NSさんが管理の仕事を始め、何でもやってくれるので大変助かっていると言って、しきりに彼のことを褒めていた。ガーデンで草取りの作業をしているボランティアの男女2人のフランス人とも話をした。比嘉さんが彼らがどのようなボランティアか説明してくれた。「ウーフ」と言う信仰とは関係ないが、世界的なボランティア組織に属しており、自然農業などを手伝うために、派遣されてくる。食事と寝るところはこちらで無償提供。一日6時間労働、土日は休み。彼らはその時間を利用して観光をする。最初は2週間期限で依頼していたが、仕事を教えて覚えた頃に、直ぐ帰ってしまうので、今は1ヶ月滞在してくれる人のみを受け入れているそうだ。様々な国々から申し込みがあり、八重岳は人気の働き場所らしい。ちなみにウーフジャパンの公式ページの一部を下に参考のためコピーしておく。

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さて、奥様に「比嘉ドクターにお会いしたいのですが」と言いかけた時、何と後ろ右横から、電動車椅子に乗った比嘉ドクターが現れた。私が27歳、牧師インターンの時代、AMCでお世話になって以来、47年ぶりの再会である。KNさんと私がそれぞれ名前を言って、話しかけたが、残念ながら「覚えていない」と言う返事であった。ドクターはすっかりお爺ちゃんになり、昔の面影はどこにもない。

昔はどちらかと言えば、精悍な顔つきであり、パワーが溢れ、威圧されるような雰囲気を持った人だった。でも、衰えてはいたけれども「会えて良かった」と私もKNさんも心からそう思った。

1年半前の5月3日(金)に、前の晩山田荘に宿泊し、帰りに「八重岳ベーカリー」により、比嘉ドクターのところを訪問、その時は、宿泊棟にも、チャペルにも誰も人がいなくて、留守でお会いできなかった。

今やっとこうして、奥様共々お会いすることが出来た。ドクターは脳梗塞で倒れて、身体は多少不自由なところがあるとは言え、電動車椅子には、草取りの道具が載せてあり、今でも軽い農作業をしているそうだ。

今日は「八重岳ゲストハウス」には泊り客がいないそうなので、恵美子さんの許可を得て、中を見学した。1年半前、「大石林山」へ行った翌日、KNさんと私は同じ場所に来た。しかし、この時はゴールデンウィークで、何人か宿泊客がいたので玄関だけ見て中には入らなかった。

また、それとは別に、2年前、2022年の11月21日(月)に一晩だけ、私一人だけの貸し切り状態で、12名も宿泊できる、このゲストハウスに宿泊した。その時に比べると、2年間で随分リニューアルしていた。傷んだソファーは別のものに取り換えられ、私の泊った部屋のドアも新しいものになっていた。共用ルームの中央にあった大きなテーブルも取り払われ、別のものが、もっと使いやすいように配置換えされていた。去年の暮れには、韓国のSDA祈祷院から講師が派遣され、自然療法の講習会がチャペルを会場に開かれ、多くの人がゲストハウスに宿泊したそうだ。その時かなり施設を改修したようだ。講習会には、NSさんの奥様はまだ元気で、熱心に講習に参加し、ノートをとったりしていたそうだ。「八重岳ゲストハウス」がどんなところかは、私の言葉で説明するより、リンクを貼っておくので、下のアドレスをクリックしてご覧ください。

https://www.airbnb.jp/rooms/14826053?source_impression_id=p3_1733671779_P3D59rON8ebe2Yzf

水納島へ行く計画もあるので、別の道を通り、NSさんの家に戻り、プリウスに乗り出発した。八重岳から下へ向かい坂を降りること5分程のところにある私達3人の旧知の仲であるMさんの家に寄った。しかし、Mさんは不在であるらしくKNさんが呼び掛けても、誰も出てこなかった。Mさんは2年半前に奥様を亡くされ、一人で2階建ての家で生活している。少し前に新型コロナに罹り、治ったのだが、少し鬱的な状態になっているらしい。家は借家であるが、かなり傷みが激しく、朽ちかけている状態だった。また、ガラス越しに見えた部屋の中は、大変な散らかり方だったので気になった。

後日NSさんに確認してもらったが、夜は電気が点いていたと言うことなので、生きていることは間違いないだろう。MさんはSDA改革派に所属し、教派を異にすることになったので、私達とコンタクトするパイプがほとんどない。NSさんに情報を得ていただくようお願いをしておいた。

八重岳を下り渡久地港の水納島行きフェリー乗り場に午前11時頃着いた。ところが乗り場の広い駐車場をグルッと車で回ったが、誰もいなかった。しばらく駐車場に車を止めて、建物の中を見たりしていたが、人の気配が無かった。私が歩いてもう一度正面玄関の方まで行って確認すると、「本日波が高いためフェリーは全面欠航」の張り紙がしてあった。誰もいないはずだ。

さてそれではどうするか。私は近くの本部町営市場の並びに沖縄そばで有名な「きしもと食堂」があるのを思い出した。実は1年半前の5月3日(金)八重岳山頂下の公園でKNさんと別れた後「きしもと食堂」の前を通ったことがあり、そこだけ行列が出来ていた。その時、いつかは入ってみたいと思っていた。

朝食をNSさんの家でいっぱい食べた後なので、そんなにお腹は空いていなかったが、沖縄そばを食べながら、次何処に行くか考えることにした。念のため「きしもと食堂」に電話して確認すると、今、お客は並んでいないと言うことだった。お店に向かう前に、渡久地港辺りの、家並みは、古き昭和の風情を感じられる、那覇にはないノスタルジックなところだったので、KNさんが車で周辺をドライブしながら見学した。

その後、昼12時少し前に 「きしもと食堂」に着くと、もうお客様の列が出来ていた。15分程待たされて店の中に入ると、そこは昔ながらの普通の沖縄のどこにでもあるような、大衆食堂的な、そんなには広くない座敷席と、テーブル席を供えた店だった。朝食べ過ぎて、そんなにお腹は空いていないので、そば(小)を3つ注文した。まったく昔ながらの沖縄そばだ。まあ、沖縄、本部町に来たわけだから、話のネタに寄ってみたのだった。味はかつお出汁、麺はもちもち、確かに美味しかった。本土風に言えば、そばと言うより、うどんに近い。下記リンクをクリックして写真をご覧ください。

https://tabelog.com/okinawa/A4702/A470202/47000068/dtlphotolst/smp2/ 

さて店を出て近くにある「新垣ぜんざい屋」に行った。私はぜんざいは苦手(小豆からできたものは全部だめ)なので注文はしなかったが、KNさんとNSさんは美味しそうに食べていた。ぜんざいは本土では温かいものだが、ここは沖縄、アイスぜんざいが普通に食べられている。白いかき氷が山盛りになっていて、スプーンで崩して行くと、ぜんざいが現れる。

店を出て、どこに行こうか色々考えたが、結局近くの、「フクギの里」に行こうと決まり、そちらに向けて出発した。「美ら海水族館」の向こうに、フクギ並木があり、備瀬崎まで続いている。沖縄に来たら私は必ずここには行くことにしているので、全く異論はなかった。渡久地から海岸線の道路を10分ほど行けば、もう「美ら海水族館」が見える。そこを過ぎれば数分でフクギの里に行ける。

目的地はすぐそこなのに、「KNさんがここも良いところなので、寄って行こう」と突然言い出し、「美ら海水族館」の手前にある、無料の公園の駐車場にプリウスを止めた。

「海洋博公園 熱帯・亜熱帯都市緑化植物園」と言うかなり広大な公園で、中にはハーブ園、汐見台、夕陽の広場、海洋博公園 大型アスレチック(アクアタウン)、レストハウス、海洋博公園 イルカラグーン等がある。無料のところしか歩かなかったが、海岸線のハイキングコースは「美ら海水族館」の横まで続いている。

往復で時間にして2時間以上、歩数にして10,000歩くらい歩いてしまった。KNさんとNSさんはかなり疲れた様子だ。私はそんなでもなかったが。

入り口近くの無料で見学できるハーブ園にはたくさんの種類のハーブがあり、ここでかなりの時間見学した。コースを進んで行くと、様々な植物が植えられており、NSさんは造園業のお手伝いをしていたこともあって、色々な木の名前を教えてくれた。ヤシの木も何種類も生えていた。この広大な公園に人がほとんどいないのには驚いた。たまに数人の観光客にすれ違う程度だった。海洋博公園 大型アスレチック(アクアタウン)は、フィールドアスレチックができる立派な遊戯施設だが、誰もいなかった。この大きなお金をかけた施設が、無人でほとんど利用されていないとは、なんともったいないことだろう、3人でアスレチック施設の中に入りながら語り合ったものだ。もしこれが、東京にあったら、無料だし、常に人でいっぱいになるに違いない。

海洋博公園 イルカラグーンの脇を通り、水槽脇の小窓からイルカが逆さになって泳いでいる様子見て、何か得をした気分になった。

かなり歩いたので引き返し、途中自販機のあるところで、飲み物を買い、乾いたのどを潤し、腰を下ろし一休みした。ところで空き缶を持ったまま歩くのは大変なので、ゴミ箱を探したが、自販機の周りには見当たらなかった。私が遠くを見てみると、視線の先に分別ごみBOXらしきものが見えたので、腰を下ろしていた階段を、何段か下りて、30~40㍍先にあるごみ箱に捨てて来た。KNさんも、NSさんも、私より4~5歳若いが、普段あまり歩き慣れていないこともあり、この時点でもう歩くことは限界に近かった。来た以上は、駐車場まで、もと来た道を帰らなければならないので、頑張っていたが、かなりバテバテで、休んでいたのだった。私は普段から八王子では健康の為良く歩いているので、このくらいの距離は何ともない。「先輩にさせてしまった」とか何とか2人は言っていた。

さてやっとの思いで駐車場に帰って来た。NSさんの家から「八重岳ゲストハウス」まで往復歩いたことを加算して計算すると、今日は12,000歩近く歩いた。

無料の公園を出発して、車は4~5分くらいで「フクギの里」の駐車場に着いた。入り口から少し歩いて、海岸の堰堤のところでKNさんとNSさんは座り込み話を始めた。私は一人でフクギ並木の中に入り、そんなに遠くに行かなかったが、ここに1年半ぶりに来たので、写真を撮りまくった。もうすでに夕方になっていた。11月19日火曜日の天気は、終始曇り空、時々濡れるほどではないが、霧雨が降った。この旅行期間中ズーッとそのような天気だった。負け惜しみを言うわけではないが、カンカン照りの沖縄だったら、とても今日のような距離は歩けなかっただろう。

そう言う意味ではちょうど良い天気だった。だんだん暗くなってきたので、車に戻り帰途についた。

帰りの車の中で、「今日の夕食はどうしようか?」と話が出た。NSさんが、「美味しい洋食屋さんがあるので、そこに行きましょう」と言うので、言われるまま名護市街に向かって車を進めた。途中結構渋滞していて思ったより時間がかかった。洋食屋さんに着き、店の前の狭い駐車場に車を止めた。もうすっかり暗くなっていた。

小さな、席が15席ほどの店の中に入ると誰もいないので、少し戸惑ったが、やがてマスターが出てきた。店は開いていて、照明も点灯していたが、どうやらまだ夕食には早い時間だったらしい。

NSさんはグラタン、私とKNさんはビーフシチュ-、それに皆で海鮮サラダを一皿頼んだ。さらにご飯とスープのセットを注文した。「シェフは帝国ホテルで料理人をしていたこともあり、とても美味しい店だ」とNSさんが言っていた。マスターに聞くと、帝国ホテルにいたのは10年以上前の事であり、フランスでも料理の修行をしていた。この店は2年前に開店したそうだ。店の名前は「結」(ゆい) リンク貼っておくのでクリックして見て下さい。

https://www.instagram.com/yui_okinawa_nago/

まずサラダが来たので皆で戴いたが、ドレッシングがとても風味があって美味しかった。次にビーフシチューとグラタンが来た。NSさんのグラタンとKNさんのビーフシチューをお二人がそれぞれのお皿に、分け合って食べているのを見て、何となく微笑ましい光景だった。ビーフシチューは大振りの牛肉が、柔らかくトロトロに煮えており、コクがあり味に物凄く深みがあった。半年前に、KNさんと那須塩原の「オリーブの丘」で食べたビーフシチュー(それなりに美味しかったが)とは、格の差を感じた。

ポタージュスープもとても味わいがあり、どれを食べても大満足のひと時を過ごした。

食事を終え、NSさん家に戻ると、一緒に仕事をしている仲間が、庭先にトラックを真ん中くらいに駐車して帰られたので、道の端の方にNSさんがトラックを動かし駐車し直した。KNさんがプリウスを駐車する時、庭の左端の方に寄せすぎて、花壇のところにおいてある素焼きの小さな鉢の上に、プリウスのフェンダーの下がかかってしまった。でも鉢は割れることなく、フェンダー下も傷つくこともなかった。ギリギリセーフだった。レンタカーは気を遣う車だ。今朝、八重岳の坂を少し下ったところにあるMさんの家に寄った時も、Mさんの家の前に続く細い道で方向転換しようとして、プリウスのホイールのところを少し傷つけてしまった。業者にKNさんが連絡したら「保険に入っているから大丈夫」と言われたそうだ。

実は今晩、庭の前に止めてあったトラックもNSさんが借りたレンタカーであり、「海洋博公園 熱帯・亜熱帯都市緑化植物園」を3人で歩いていた時、仕事仲間からNSさんに何回か電話があった。彼らがレンタカーのトラックで、仕事中、何にぶつけたか?誰かの車か?は詳細には分からないが、擦ってしまった。電話のやり取りの中で、保険で処理できることがわかって、安堵した。

本来所有しているNSさんの2トントラックは、先日不注意で、岩にぶつけてしまい、今修理中で、修理終わるまで、トラックがないとNSさんは仕事が出来ないので、止むを得ずレンタカーを借りて仕事をしているのだった。

後日、私は心配になって、電話でNSさんに、「疲れて、居眠り運転して、岩にぶつけるようなことではいけないので、あまり働きすぎないように。」と助言した。彼は「来年からは少し仕事の量を減らします。」と言っていた。

さて、車を庭の前の駐車スペースに駐車、NSさんの家(所有者は比嘉ドクターと思われる)に帰着した。明日、NSさんは仕事があるし、また今日はかなり歩いたので3人共疲れていた。夜は歓談等せず、すぐ休むことになった。

まずKNさん、次に私、最後にNSさんの順でシャワーをして、なるべく早く寝る準備をした。この晩は2泊目と言うこともあり、慣れていたので、私はベッドに入ったら、すぐ眠ってしまった。

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