2024/11/18(月)日記

2025年01月02日

第4回目沖縄旅行 第1日目 2024/11/18(月) 

今回沖縄に行くことになったのは、私の学生時代からの旧友NSさんの奥様が、2024年9月16日に、胆のう癌転移のためお亡くなりになって、その慰問の為であった。沖縄で歯科医院をやっておられるKN先生が、私と2人でNSさんに会いに行こうと提案された。私は今年の5月にKNさんと、息子の住んでいる那須塩原に旅行に行ったばかりなので、心の中でどうしようか迷ったが、家内も賛成してくれたので、行くことにした。

 11月17日日曜日は季節外れの暖かさで24℃もあった。我が家は、夜蚊が出て、11月だと言うのに香取線香を点けたりして、何か、明日沖縄に行くことも影響して、夜は熟睡できなかった。

11月18日月曜日、沖縄に行く朝となった。旅行の用意はある程度していたのだが、スーツケースに必要な物を詰めたりしているうちに時間がドンドンたってしまい、家を出たのは12時55分頃であった。家内は今日午後3時半から、1件のヘルパーの仕事で、午前中は家にいたので助かった。食事をしてから出発することが出来て良かった。

今日は朝から空は曇り☁️北風が冷たい、昨日24℃、今日18日は13℃。那覇の天気もここのところズッと曇りで、時々日中に雨が降り、あまり良くないと、昨晩、電話でKNさんが言っていた。

KK駅発、13時17分発特急新宿行きに乗ることができた。京王線新宿行き特急が小さな我が家の近くのKK駅でも停車するようになったのは、いつ頃からか分からないが、私達にとってはとっても便利で、嬉しいことだ。

京王線新宿駅着は14時5分。このまま順調に行けば、JAL921便、東京(羽田)16:00発、沖縄(那覇)18:55着に十分間に合う。15時には余裕をもって1時間前には羽田に着く予定であった。

順序が逆になったが、今朝、家からKK駅に向かってスーツケースをゴロゴロ引きながら歩いていた時、駅手前、16号国道で、私に妹のプリウスに乗った、姪のE子さんと、その息子のT君に出会った。「叔父さーん」の呼び声に、やっと気がつき、一瞬手を振った。

今回の11月18日(月)~22日(金)の4泊5日の第4回目の沖縄旅行、家内がいるからこそ安心して、家のことはすべて任せて行くことが出来た。来年1月で満99歳を迎える同居している母は、最近めっきり足が弱くなっている。家内には、戸締りや寝床の準備等、色々留守中やっていただいて、申し訳なく思っている。まさか、今年のゴールデンウィークにKNさんに会ったばかりなのに、6ヵ月後に、また沖縄に行って、KNさんやNSさんに会うとは、思ってもいなかった。

京王線で新宿駅に着いたのが14時05分、そこからJR山手線ホームに乗り換え、渋谷品川方面の電車に乗ったのが14時10分頃、山手線は結構混んでいたが、一駅くらいで、すぐに座れて感謝。しかし、たまたま隣に座っていた若い男の人が、ひどい咳をするので気になり、立って別の方向の空いている席に移った。やがて浜松町駅に到着、乗り換えエレベーターが、すぐ自分の目にとまり、モノレール乗車口のある5階まで、スーツケースゴロゴロと運ばないで行くことが出来た。そのエレベーターは目立たないところにあり、小さく、利用者は私一人だった。不思議?こんな便利なエレベーターがモノレール発着階まであるとは思っていなかった。目にとまった方が不思議であり、感謝した。御霊の導きを感じた。ホームからは、少し待って次発の14時50分発の快速に乗った。

モノレール乗車した時、一番奥に座った為、乗客の通路に置いてある大きな荷物が、邪魔になり、JAL受付のある第一ターミナル駅で降りるのに苦労した。ドアが閉まる前に、かろうじて間に合ったが、あわてて、床の段差に気がつかず、躓き、幸い倒れはしなかったが、危ないところだった。これからはもっと出入り口近くに座るべきだ。JAL搭乗受付のある南ウイング、自動小荷物預けのところまでやって来た。スマホのエアチケットQRコードを出して、読み取り器にかざすとラベルが発行されるのだが(自分はめんどくさいのでJALマイレージやってない)、マイレージ入力の画面が出てきて、そこから先に、何度やっても進むことが出来ない。少し焦りながら、そばの職員さんに聞いたところ、普通の窓口受付でやってもらうように言われ、自動でなく、人力の普通の窓口で、スーツケースの預けること等、やってもらった。

自動で出来ないと何となく気持ちがすっきりしない。これからはマイレージ会員になり、すぐ出来るようになっておく予定だ。無事スーツケースを預けた後は、普通の窓口でもらった印刷された搭乗チケットを見せて、予め何処で、手荷物検査するのか、聞いておいて、慌てないようにして、沖縄へのお土産を買いに行った。

この時既に15時20分を過ぎていた。時間がないのに、東京バナナを買いに店に寄る。ところがその店はレジに長い行列ができていた。最後尾に並んだところ、支払いまで10分ほど待たされ、かなり焦り出す。その後、速足で歩きながら、先ほど教えてもらったB入口から入り、手荷物、持ちもの検査。搭乗口は16番でかなり遠かった。動く歩道を、止まらず速足で歩いて16番ゲートに着くと、すでに、私のチケットのグループ3の受付が始まっていた。何や、かんやあったが、とにかく無事に搭乗出来て、良かった。

まだ携帯が使えるうちに、機内でKNさんにメールした。

「KN先生へ、お祈り有り難うございます。お陰様で、今無事登場しました。機内モードになりますので、到着したら、また、メールします。田中清二」

離陸は16時より10分ほど遅くなった。離陸して、すぐ、夕方になり、夕焼けのグラデーションの景色が、雲海の上、飛行機から見えて、とても綺麗だった。やがて浜名湖上空を飛んだようだ。

振り返れば、飛行機の受付の時間は思っていたより、タイトだった。もう少し早く八王子の自宅を出られれば、もっと楽に乗ることができたと、反省した。那覇空港に着いたら、NSさんとKNさんに、すぐメールする予定だ。

最近私は老眼鏡かけないと、何もできない。前より度が進んだようだ。今回のフライトの前半位の時だったろうか、57Aの窓側にいたのだが、左の機体と座席の間に老眼鏡落としてしまった。シートベルトを外して、下を良く見たら、何と、真後ろの席の、青年の足下にあった。どうしてそんなところまで転がって行ったのだろう?青年に謝り、お礼を、言って、拾ってもらった。恥ずかしいけど、しょうがない。旅の恥じはかき捨てだ。

「那覇空港に、18時51分今無事ランディングしました。お祈り有り難うございました。お陰様で無事に沖縄に、1年半ぶりの到着です。」と携帯が使えるようになってすぐKNさんにメールした。那覇空港でスーツケースが出て来て受け取り、出口から外へ出たのが19時20分頃。タクシーやマイクロバス等の送迎車で混んでいて、KNさんの姿がすぐには視認できなかった。停車している車両の列のかなり向こうの端の方で待っている車を確認するまで、右往左往で、5分ほどかかった。ラインで話をしながら探したので、こんな時は非常に助かった。半年ぶりに会ったKNさんは、元気そうで、まったく変わりはなかった。スーツケースをトランクに載せ、助手席に乗った。運転していた車は、ベンツのSUVではなくプリウスになっていた。ベンツは故障が多いので止めて、今度はレクサスSUVを購入したそうだ。ただ納車待ちの為、トヨタの販売会社斡旋によりレンタカーのプリウスに乗っていた(販売会社の斡旋で安く借りれたそうだ)。

 挨拶を済ませて、いよいよNSさんのいる八重岳に向かった。出発は19時半になっていた。空港から沖縄の高速道路入り口までは、かなり渋滞しており、時間がかかった。途中セブンイレブンにより、弁当を買った。最初は沖縄高速道路の伊芸SAで、食事をする計画をしていたが、20時がレストランのラストオーダーなのでとても間に合わない。高速入り口近くにセブンイレブンがあったので、そこの駐車場に止めてもらい、私だけが車から降りて、簡単な弁当を買い(KNさんは既に迎えに来る前に食事を済ませていた)、ついでにコーヒーも買ってKNさんに渡した。私がコーヒーの蓋を適当に持って来てしまったので蓋は紙コップに合わなかった。KNさんがもう一度コンビニの店内に行き、合う蓋を持ってきた。コンビニの店員さんも心配して親切にも、店の前に止めていた車の中の様子を見に来た。

 コンビニを出て、高速に入りノンストップで名護まで行き、名護からさらに30分ほど走り、NSさんのいる八重岳に着いたのは21時30分頃であった。

 車の中で、半年前に一緒に旅行した、那須塩原の楽しい思い出をKNさんと語り合った。さらに、プライベートな事なので、詳細は書けないがが、KNさんの、兄弟、妹さん達が抱えている、諸問題のお話を詳細に聞いた。特に、叔母さんが沖縄では有名なユタであり、博士号を持っているほどの頭の良い方で、幼稚園も経営し、とても裕福な方であるので、親戚の方々に与える影響は大きいとのことであった。一般の方々には大した問題ではないかも知れない。宗教は基本的に自由であり、何を信じようが、かまわないではないかと思われるだろう。しかし、クリスチャンにとっては、これは由々しき、大問題なのです。偶像崇拝、先祖の霊を拝み、霊魂不滅の創始者、背後にいる悪霊の世界に翻弄されかねない出来事なのです。私たちの戦いはこの世の肉に対するものではありません、神の恵みの内に聖霊を送って戴き、天使たちの御奉仕に支えられながら、この世を支配する悪の諸霊に対する戦いなのです。

『わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。』(エペソ6:12)

 霊的世界を信じている者にとって、迷信とはハッキリ決別しなければならないが、悪の霊の存在を否定することは出来ない。父なる神と御子イエス、その代理人である聖霊の守りがなければ、私達は弱く、歳を経て、経験を重ねてきた狡猾な蛇(サタン)には、コロッとやられてしまうのです。車中の話の中でKNさんの御親族、ご親戚の中には、容易ならざる大変な悪の霊的状態が醸し出されていることが想像できた。このような環境の中で、キリスト教信仰を、聖書に基づきながら、純粋に貫いておられるKNさんに、神の豊かな祝福があるように、これからも私なりに、誠意を込めてしっかりと祈って行こう。

 さて、高速では少し雨が降って来ていて、終点の「許田」インターで下り、名護に着いた頃も、細かい雨がズーッと降り続いていた。KNさんが、突然私に名護から「八重岳ベーカリー」まで私に案内してくれと言うので、少々慌てた。私もそんなに詳しく知らないので、グーグルのナビを頼りに、助手席で「ここを右に曲がり、あそこを左に」と、声をかけた。

 「八重岳ベーカリー」までは名護から30分ぐらいかかった。途中の道は狭く、山道の中は街灯の1本も無く、真っ暗で、上り坂の上、雨が降っているので、KNさんも慎重に運転をしていた。「八重岳ベーカリー」に着くと、そこからNSさんの家は少し車で行ったところにある。21時半頃家の前の駐車場に着き、車を止めると、NSさんが、玄関から出てきた。那覇の国際通りで別れて以来、1年半ぶりの再会だ。挨拶を済ませ、玄関から家の中に入った。1年半前この玄関先でNSさんの奥様KSさんにお会いしたことを、今更ながら鮮明に思い出す。私とKNさんが、突然訪問したところ(突然の訪問なので、家の中に入ることは遠慮した)、しばらくして、玄関の外に出て来られた奥様と、5~10分ほど立ち話をした。その時はお元気そうで、既に胆のう癌を患ってはいたが、薬草と、玄米菜食(1日1回の食事)、夜はお腹が空いたら果物くらいは食べると言う生活をしておられた。名護のクリニックで定期的に検診、大きくなっていないので、大丈夫だと言っていた。

 私は帰り際、「手術して取ってしまった方がいいですよ。」と言い残して別れたが、今思えばもっと強く勧めておけば良かった。昨年のゴールデンウイークの時の訪問、あれから1年半、2か月前に沖縄西原町にあるアドベンチスト・メディカルセンター(AMC)のホスピス病棟で、平安の内に主の来臨を望みつつ息を引き取られた。

 今日来た旅行の目的は、NSさんが一人になってしまったことを聞き、慰問の為だった。

 「人生ってなんてはかないことなのだろう」と今更ながら思う。イエスの復活を信じている私達だ。信じる者はイエスのお力で、たとえこの世の命が尽きて、死んで墓に葬られても、やがてイエスのお力で、墓から、新しい栄光の体をいただいて、永遠の命、朽ちない体をもらって、私達も復活することが出来る。これが私達の究極的な希望です。

『主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。 ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。』(テサロニケ第一4:15~18)

 「死者が復活するなどあるはずはない、そのようなことを信じることは迷信の極みだ」と無神論者から否定されても、私達クリスチャンは真面目にそのことを信じている。これを信じなくてはキリスト教の真髄が否定されることになる。キリストは神と等しい方で、十字架につかれて、人間が犯した罪の全てを、負われた。その打たれた傷によって誰でも癒され、救いに与かり、やがては復活させられる時が来る、キリストが人類の代表として復活されたように。

『彼(イエス)は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。』(イザヤ53:3~5口語訳)

さて、私もKNさんもNSさんの家に入るのは初めてだった。ベッドが置いてある部屋が3つあり、真ん中に広いフローリングのリビングルームがあった。リビングの中央に薪ストーブがあり、煙突は壁の外に出ていて、煤がたまるので掃除が大変らしかった。ストーブの近くのテーブルの上に、シークヮーサーに似た柑橘類が置いてあり、少し戴いたが、甘かった。夕飯は済ませて来たのでお腹はそんなに空いていなかった。しかし、勧められるままに、「八重岳ベーカリー」の、玄麦のアップルジャムパンをいただき、タンポポコーヒーを飲んだ。

私はまずこの度、最愛の奥様を亡くされたNSさんにお悔やみを言い、わずかであるが、お花料が入った袋を渡した。NSさんは遠慮していたが、最後は受け取ってくれた。奥様が若い、まだ独身でKKさんであった時、その当時は泊にあった、通称アメリカ病院‐アドベンチスト・メディカルセンター(略してAMC‐今は西原町に移転)で、ナウンセードをしていた姿が、今でも私の目に焼き付いている。 既に故人となられた奥様のお父様は、那覇から少し外れた、海岸近くで、雑貨屋を営んでおられ、広い敷地に島バナナの木を植えられていた。店の前の庭では、石を積んだ場所に、木が燃やされており、そこに大きな鍋がかけられ、何かを奥様のお母様が煮ておられた。 私が27歳、今から47年前のことだが鮮明に覚えている。西原三育教会や、大謝名集会所等に属する信者さん達を牧師インターン1年生の私が、時々訪問していた。お父様は「バナナが風にだいぶやられた」と言っておられた。お母様は大鍋で、玄米弁当のおかずを煮ていた。自家製の玄米弁当は、自分の店でも売られ、他のところにも卸しておられたようだ。奥様の妹のR子さんがお手伝いをしておられた。また、牛乳瓶に入った、冷蔵庫で冷やされた「玄米ジュース」なるものを初めて勧められるままに飲んで見た。ショウガの味が効いていて、黒糖で味がつけられていて、裏漉しされた玄米の汁が、冷たくのどを潤し、とても美味しかった。沖縄で初めて「玄米弁当」も「玄米ジュース」も、今は故人となられたお母様が始められたことを、今日NSさんに聞いて、非常に驚いた。セブンスデー・アドベンチストの沖縄社会に与えた影響は大きい。今でも、「うりずん」や「リュウボウ」で玄米弁当を売っている。

沖縄に赴任する何年か前に、当時千葉内房の楢葉の丘の上にあった、全寮制の三育学院で、私(たぶん2年生の時)NSさんKNさんと3人で、半年間寮内の同じ部屋で寝食を共にした。私が3年生終了した時、1年休学し、SDA甲府集会所(当時聖書研究会)で、学生宣教師の真似事みたいなことをやった。「若葉荘」と言う、裸電球1個、共同炊事、共同トイレ、風呂無しの安アパートを借りて、生活していた。そこへNSさんがSDAの文書伝道をするために途中からやって来た。彼と私は約半年間一緒に生活した。またNSさんが来て間もなく、沖縄の今帰仁からNSさんのお姉さんのKSさんが文書伝道で甲府の集会所に来た。お姉さんは、既に文書伝道師として働いておられた故渡部愛子さんと、集会所で同居し、愛子さんが病のため故郷の会津に帰られた後は、10年ほど甲府集会所の責任者をして下さった。

NSさんは甲府で文書伝道をした後、茅ケ崎辺りで文書伝道をしたりしていたが、もう一度三育学院に帰り、短大を卒業し、縁あって北海道に行かれ、十勝地方で6年間農業に従事した。北海道に行く前に奥様と結婚していて、1男3女に恵まれた。その後沖縄に帰って、名護でG牧師(既に退職)のお父様が経営する造園業の会社に10年間勤務した。経営者が亡くなられた後、比嘉ドクターが運営する八重岳の自給伝道組織に来て、施設の管理の仕事を任されて、もう7年たつそうだ。残念ながら比嘉ドクターは脳梗塞でお倒れになり、今は移動するのも電動車椅子だ。

さてそんな話をしているうちに夜も23時となってしまい、明日3人で水納島(みんなじま)に行く予定もあるので、寝ることにした。KNさんは既に自宅マンションでシャワーを済ませて来たと言うので、遠慮なく私がシャワーを使わせてもらい、長旅で疲れているので、すぐベッドに入って休んだ。厚い毛布と掛け布団が用意されており、部屋も掃除が行き届いていた。今思えば、NSさんは私達2人を迎えるために、家の片づけ、掃除、ベッドや寝具の準備、とても大変な思いをしたのではないかと推測する。改めてこのブログでお礼を言っておこう。「NSさんお世話になりました。思いが至らなくてすいませんでした。お陰様で快適な2晩を過ごさせていただきました。有難うございました。」

今年は暖冬と言っても、寒い八王子から来たので、(その頃寒い日は13℃くらいだった。)11月18日那覇は24℃くらいあり、沖縄北部は那覇より少し気温が低いと言っても、いざ寝てみると、厚い毛布と掛け布団では少々暖かすぎた。そこで毛布を外して、掛け布団だけで寝たら、ちょうど良い温度になり、快適に眠れた。

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