2023/5/6(土)日記

2023年06月16日

第5日目 5月6日土曜日

朝は7時くらいに目覚めた、外は曇り、雨は降っていないようだった。朝食をトースト2枚、ジャムとマーガリンを食パンに塗り、インスタントコーヒーで、流し込んだ。今日は5月2日に食べ忘れた、ヨーグルトもバッチリ食べた。朝は昨晩宿泊した人達で意外に混んでおり、自分達で使用した食器を洗い、ふき取り、片付けまでやらなければならないので、時間がかかった。

シンク周りには数名の方がいて、食器を洗っており、私は急いで出る予定があったので、自分の使用した食器をすぐ洗えず焦ってしまった。途中申し訳なかったが、「ちょっと急いでいるもので」と断って、割り込みさせてもらい、自分の使ったコップとお皿等を洗ってしまった。

と言うのは、午前8時にはNSさんの家に行き、借りた軽自動車を返そうと思っていたからだ。既に午前7時半、いや45分を過ぎていて、かなり焦っていた。割り込んでコップとスプーンを洗ってしまったのは、あまり良くないことだったと反省している。

遅くなり午前8時頃にホテルを出た。軽自動車は、瀬底大橋を渡り、渡久地港の方に向かって左折した。NSさんに渡久地港近辺で、電話した時、どうも道を間違えた。スマホのナビが案内するのだが、何度やっても渡久地港に戻されてしまった。つまり今思い起こせば、渡久地港辺り、本部町営市場のところで右折し、県道84号に入らないと八重岳の入り口にはいかないのだ。それを勘違いして直進し、広い通りに出て、海岸線を「美ら海水族館」方面に行く道路を選択してしまった為、何度も八重岳に行くように、間道を戻されていたのだった。そのことに気が付き渡久地港から県道84号に入り、八重岳の看板が出ているところまでようやく行き着いた。NSさんと奥さんは、とっくに八重岳ベーカリーの前で待っていた。既に約束していた8時はおろか、8時半も過ぎていて、待たせて大変申し訳なかった。やっと着いたので、すぐ運転を替わって、SDA浦添教会に向かって出発した。もう一人、途中名護で知人を乗せる都合で、軽のトランクにギュウギュウ詰めで私のスーツケースやその他の荷物を載せて、後部座席を確保した。

八重岳を下って車はNSさんの運転で、名護に向かった。途中知人の住んでいるマンションに寄ったが、その方は今朝そこにはおられず、どこか他の場所から歩いて私達の車のところに来られた。ここでも15分程待たされてしまった。八重岳から浦添教会まではかなり距離があるが、毎週彼は奥様と通っている。その一つの理由は、娘さんが、お孫さんを連れてこの教会に来ているからだ。しかしSDA名護教会なら八重岳から20分ぐらいで行けるのに、1時間以上かけて浦添まで通うのは、いかに娘さんや、可愛いいお孫さんに会うためとは言え、大変だなと感じた。また浦添教会には奥様の妹さんRKさんがいた。私がRKさんにお会いしたのは46年ぶりである。すっかり変わっており、もう言われなければだれか分からないくらいだった。向こうもそう思っていただろう。昔お会いしたのは、私27歳の頃なのだから、無理はない。でも元気そうだった。

浦添教会は、国道58号線を那覇方面に向かい、NTT西日本 城間電話交換所を左折、少し行くと比嘉眼科がありその隣にある、非常に分かり易いところに建っている。ジャンボG1店の近くだ。https://adventist.jp/church/urasoe/ (リンク有)

教科研究の教師をしておられた老婦人のOさんは、もう引退なさったS先生と同級生だったそうだ。浦添教会は駐車場も完備し、エレベーターもついている小さいながらも3階建て。便利に設計された機能的な教会だった。AMC(アドベンチスト・メディカルセンター)から何人かの若い看護士さん達が出席していることもあり、若い方も多くいて、年配者が多い八王子教会と比べて、羨ましい限りだった。那覇教会の牧師が兼牧していて、残念ながら今週は牧師はいなくて、ビデオ礼拝であった。

さて礼拝後、すぐ奥様、娘さんにお別れの挨拶をして、浦添教会を後にした。NSさんのお孫さんは男の子で大きな体格をしていて、小学校2年生だが、4年生くらいに見えた。

どうしても、私が46年前に牧師インターンとして赴任した時の沖縄教区長TH先生にお会いしたかったので、北中三育教会に向かった。NSさんに無理をお願いして、先生が沖縄市の自宅に帰らないうちに着きたいと思っていた。沖縄高速道路、北中城インターから出てすぐのところに北中三育教会があった。車で20分くらいかかった。

北中三育教会https://adventist.jp/church/kitanaka-saniku/(リンク有)は三育小学校に付属している教会であり、広く、大きく立派な施設を備えた教会だ。駐車場に車を止めて、教会の玄関を入ると、TH先生の奥様がおられ、挨拶すると、突然なので驚いた顔をなさった。ご夫妻がまだ帰らずに教会にいたのでホッとした。まったく連絡もせずにお伺いしたことは大変失礼であったが、お会いできて良かった。NSさん、私、先生ご夫妻と並んで、写真を撮った。先生は今年90歳になるが、お元気そうで、足腰もしっかりしていて、頭もハッキリしていた。奥様も、お元気そうで、とっても安心した。特に先生は御霊に満たされて、顔が光り輝いて見えた。

また、沖縄旅行から八王子に帰ったその後のことだが、TH先生の長男のNHさんは八王子教会に2週間に1回ほど来ている。5月13日の土曜日の礼拝には八王子教会に元気で来られ、5月21日に4年ぶりに八王子教会が行うバザーで使う、たくさんの備品を運ぶお手伝いまでしてくれた。46年前の出会いから、今に至るまでこのように何らかの形で、ご家族とお交わりがあることは感謝です。

私は昔、46年前27歳の時、アパートを借りて1年間浦添で過ごしたことがある。それはSDA信者さんの、KMさんの所有するアパートだった。KMさんには、36年前に石垣島に1年間赴任した際、沖縄本島に用事で来たとき、浦添までお伺いし、一度お宅で会いした。改めてKMさんの住所と電話番号をTH先生に聞いて、NSさんにお願いして、グーグルマップを頼りに、車で行って見た。聞いた住所にグーグルマップで行った。そこのMの表札が出ている家で、家の人にKMさんの事を聞いたが、どうも話がチグハグで、結局分からなかった。電話もしたが、呼び出し音は鳴るものの、通じなかった。もしかしたら、違うM姓の家に行ってしまったのかも知れない。KMさんについては残念ながらここで諦めるしかなかった。神様が御心ならば彼女を守り、またお会いすることもあるだろう。

東京に帰って来た今は、祈る以外には何をすることも出来ない。NH先生には、KMさん に引き続き、電話だけはしてもらうように、メールで頼んでおいた。

さて帰りにNSさんが、近くにあった和風亭 浦西店https://www.cookdoor.jp/dtl/14092762449/imagelist/(リンク有)でお昼のランチをご馳走してくれた。私は遠慮していたが、「どうしても」と言うので、お言葉に甘えた。食後のデザートまで注文して下さったので、恐縮の限りでした。

食事も終わり、彼は待たせている奥様と知人を、浦添教会に午後3時までに迎えに行かなければならない。そんなにゆっくりはしておれない。昨日八重岳で別れたKNさんのTにあるマンションまで送ってもらうのは、大変遠回りになるし、時間も余計にかかる。そんな訳で、私は那覇の国際通りの適当な場所で午後2時頃 車を降りた。午後3時の奥様達の迎えの約束の時間には、十分間に合うはずだ。

NSさんは本当に無私な方で、今回はまた大変お世話になった。国際通りの適当な場所で、車を左側の路肩ギリギリに止めて、トランクからスーツケースを降ろし、途中買ってもらった飲み物、ストアで買った野菜ジュース(未開封で飲んでいなかった)を、荷物になってしまうので、NSさんに持って行ってもらった。いよいよ、ここでNSさんと今回の旅のお別れとなった。何か切ない思いが、今旅行記を書いていて、私の胸にこみ上げて来た。「今度NSさんに会えるのはいつになるだろう?それまでに、胆のう癌を患っている奥様は、病気が癒され元気になっているだろうか?」そんな思いだ。

私24歳頃、NSさんは20歳くらい、若い学生時代から彼とはずいぶん、お交わりがあった。学生時代休学し、甲府の「若葉荘」の風呂無し、6畳一間、共同炊事、共同トイレ、電球一個の安アパートの部屋で、半年ほど 2人で暮らしたこともあった。私は学生宣教師の真似事、彼はSDA甲府聖書研究会に住むことになったお姉さんのKSさんと共に、文書伝道をした。 

そのときから彼は無私の人で今も変わらない。彼の自己犠牲と無私の愛の精神には、頭が下がる。こんな人は見たことがない。だから私は彼の為に、沖縄から八王子に旅から帰って来ても、祈り続けている。 

「NSさんの腰痛が引き続き癒され、お仕事も支えられ、収入がいつも確保され、神によって健康が恵まれ、奥様の胆のう癌が癒されるように」と、イエス・キリストの名によっていつも祈っている。

現在、奥様は八重岳の家で、一日1食、玄米菜食、さらに周りの薬草を採取して、それを飲むことによって治療を続けている。果たして癒されるのだろうか?私には分からない。早く医者で、手術して取ってしまった方が良いのではないか。神の癒しを私も信じてはいるが、これ以上は奥様の選択であるので何とも言うことが出来ない。医者には一月に一度は検査の為通院しており、今は大きくなってはいないので、経過観察中だとは聞いている。

「今回大変お世話になりました、お互い無理しないで元気でやって行きましょう。」笑顔で握手してお別れした。

八王子に帰ってから1ヶ月くらいしてNSさんからラインメールが来た。以下にコピぺしておく。

「メールありがとうございます!おかげ様で家内も私も元気です。いつも祈ってくださりありがとうございます。前回の台風2号は大きな被害は無く去って行きましたが、また3号が発生しているようです。何より御再臨に備えなければと思います。祈りあいましよう。」NSより

【御再臨に備えなければ】彼の言うとおりだ、私達は日常のことをこなすのが、精一杯になってしまって、つい一番大事な世の終わり、再臨に備えることを忘れてしまう。彼の真面目な信仰に対する態度が、この言葉に良く表されている。

さて、車を降りてから、スーツケースをゴロゴロと引きながら、国際通りを「那覇バスターミナル」に向かって歩いた。この時、天気は回復し、強烈な太陽が国際通りを照らしていて、猛烈に暑かった。道路はゴールデンウィークの最中、今日は5月6日土曜日とあって、車はかなり渋滞していた。那覇のバスセンターからバスに乗りKNさんのいるTのマンションに向かう予定だった。

人通りは多く、お土産屋さんが軒を連ねている。「松尾」と言う場所まで歩いて来た。そこに、観光客用であろうか、5~6人ほど座れるように木のベンチが丸く作られていた。携帯を見ていた男の外人の横が空いていたので座った。「松尾バス停」にちょうど「那覇バスターミナル」行きのバスが来た。思わず乗ってしまった。何のことはない、次のバス停が、那覇バスターミナル終点であった。こんなことだったら、最後まで歩けば良かったかな。でも1区画ではあったが、助かった。涼しければ歩くことを私は苦にはしない。が、見知らぬ土地で、カンカン照りの沖縄の暑さの中をダラダラ汗をかき、スマホのナビの案内で、スーツケース引きながら歩くのはやはり大変だった。

さて、「那覇バスターミナル」に着いて、案内所の女性にT行きのバスはどこから出ているか教えてもらった。どうも私の頭が悪くなったのか、若い女性の説明の仕方が悪いのか、丁寧に図まで見せてくれて、T行きのバス停の場所を教えてくれたのだが、迷ってしまった。

要するに今考えると、バスターミナルのビルの反対側にローソンがあり、その前にT行きのバス停があったのだ。2階の案内所出口から、ビルを取り巻くように続いている2階の回廊を、ビルの反対側まで歩けば、すぐ着くことが出来たのに、1階へ下りて、普通の道路を歩いたため迷ってしまったのだ。スマホのグーグルマップを取り出し、右往左往して、近くのローソンが見つかり、その前のバス停が、T行きバス停だった。やはり慣れない者にとってはバス移動は大変だ。分かってしまえば、何でもない事なのだが。15~20分ほど待っていると、Tの方に行くバスが来た。念の為の乗車する時、バスの運転手に「あしびなー(遊びの広場の意味)行きますか」と言うと、「行きます」と言うので安心して乗ることが出来た。20分ほど乗っただろうか、やがて「あしびなー」のバス停に着きそこで下りた。

ちょっと苦労したが、やっとKNさんの住んでいるTの近くまで来た。ここに来るのは、3年半ぶりだ。感慨深いものがあった。ヤマダ電機の大きな建物がバス停のすぐそばにあった。またすぐそばにローソンがあったので、そこで夕食の弁当を買い、近くの腰をかけられるところを探して弁当を食べた。既に夕方の6時をかなり過ぎていた。沖縄は本土より1時間近く日没が遅いので、まだまだ明るい。午後7時に先生のマンションに伺う約束なので、これからこの辺を、帰りの為歩いて調べておいても、十分間に合う。食事を簡単に済ませ、ごみをもう一度戻って、ローソンの店内のごみ箱に捨てた。

帰りのバス停を確認するために、ヤマダ電機とは反対側の「あしびなー」のモールがある方を少し歩いて調べた。反対側の那覇に向かうバス停には空港行きが表示されていない。通行人に聞いてみると、「空港行きバス停は、少し離れた建物の向こうにありますよ。」親切に教えてくれた。そこで念のため重いスーツケースをゴロゴロと引きながら行って見た。モールの前に大きな駐車場があり、そこの端に、空港行きのバス停が別に設置されていた。時間を見ると始発が10時半だった。帰りの飛行機は12時10分那覇空港発だ。20分で空港に着くので、帰りの便に十分間に合うと思って安堵した。(実際には別のところから別のバスに乗ってしまつた。後述する。)

「あしびなー」からTのマンションまで歩いた。やっとマンションに着いて、部屋番号を押してドアフォーンで到着した旨告げ、正面玄関ドアを開けてもらった。ところがマゴマゴするうちに再び閉まってしまい、もう一度部屋番号を押して、ドアフォーンで事情を話し再度開けてもらった。

1階の入り口近くの、共用スペース、ホールの椅子に座って待っているとKNさんが下りてきて、歓迎してくれた。KNさんの住んでいる上の階には行かず、すぐ2階にあるゲストルームへ直接行き、管理人から前もって渡されたカギでKNさんがドアを開け入った。

KNさんが、部屋の使い方、カギの開け閉めのやり方を、説明してくれた。この部屋は3年半ぶりの利用だ。懐かしい気がした。人間3年半たつとあまり覚えていないようだ。何かツインベッドルームのベッドの位置が以前と変わっているように感じたが、勘違いだろう。この部屋で午後8時過ぎくらいまでKNさんと話し込んでしまった。

一昨日の5月4日木曜日の楽しかった大石林山、辺戸岬の思い出を話した。私は簡単に夕食を済ませて来たが、KNさんは夕食はまだだったので、一応お別れし、上の階の自分の部屋に戻られた。

私はすぐにシャワーを浴びたが、さて風呂場に石鹸とシャンプー類がない。実は後から、部屋の使用要領のファイルを見て分かったのだが、このマンションのゲストルームには、シャンプー類の備えはなく、自分で持ち込んで使うようになっていた。

どうも、3年半前に、一晩だけ同じ部屋に宿泊した時も、何かそのようなことで困惑したことを、後になって思い出した。

すっかり忘れていたので、今回随分探してから、またさらに翌日、部屋の使用要領を後から読んで、このことに気が付いた。その時は、もうない物はないので、探すことを諦めた。洗面所にキレイキレイのハンドソープが置いてあったので、取り敢えず何でも洗えればいいやと覚悟を決めて、それで身体も頭も洗って、TVも見ずに早めに寝てしまった。 

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