2019/10/13(日)日記

2019年10月13日

 2019/10/13(日)日記

 KNさんと、ゲストハウスいちゃりばちょでーで今朝再会する予定です。

 木曜日夜別れ、今は日曜日、10月13日、正味たった2日であったが、あまりにも忙しかったので、随分時間がたった感じがした。

 まずゲストハウスいちゃりばちょでーでは、例の電話魔の中国人青年が、朝早立ちをした。隣のリビングで、朝5時ごろから、ガタガタと物音がした。少し夢うつつ状態で、目が覚めたが、疲れていたので、今日は、寝なければ体持たないと、腹をくくり、とにかく無理してでも寝ていたら、玄関ドアを閉めて、鍵の返却BOX(小さな箱状の物)にカギを入れて、出発したらしく、部屋も静かになったので、また眠りに就いた。

 正確には分からないが、朝8時過ぎまで寝ていたようだ。起きて、寝ぼけながら、祈りをし、簡単に聖書を読み、TVをつけ、台風被害のニュースを見ながら、スーツケースに衣類を詰め、出発の準備をした。

 玄関の前の通路に洗濯機が置いてあったので、昨日 夜洗濯をしておいた。昨晩からの部屋干しの衣類がまだ生乾きだったので、たたんで、持ってきたレジ袋に丁寧いにしまって、今晩KNさんのマンションに泊まった時に、干すつもりだった。(本日、夜KNさんの貸してくれた部屋で干し、月曜日には、居間の空気清浄機の前で干して、最終的には良く乾いた)

 あっという間に時間は過ぎ、9時半頃になった。出かける準備もほとんど整い、朝飯がまだだったので、9時40分頃だろうか、すき家に行って、オクラカレーを食べた。栄養的にも良いし、ボリュームがあったのでお腹一杯になった。ただ10時にはKNさんが迎えに来る予定だったので、あまり時間がなく急いでかき込んだ。なぜこんなに時間が無くなったか、その理由は、実は石垣のYTさんに、朝からラインメールをしていたためである。お互いの携帯番号をアドレス帳に昨日登録したため、ラインが自動的に友達設定され、彼女とやりとりが可能になった。そこで、長男とその家族、長女とその家族、私と再婚した家内、母の写真をグーグルフォトから、適当なのを選び出し、文書もつけて送信したのであった。これに時間がかかり、最後は超特急で、朝食をとるはめになった。

 10時少し前にKNさんからライン通話があり、車のキーを持たずに、マンションを出て駐車場まで来たので、これから部屋に帰って出直すので、10時半くらいになると連絡を受けた。

 共用リビングで、ノートPCに向かい、何か事務仕事をしていた、ゲストハウスの管理をしているKさんに、事情を話し、10時半まで居ることを了承してもらった。10時半ごろKNさんから着いたと連絡が入ったので、「いい部屋を用意してくれたのでぐっすり眠れました、お世話になりありがとうございました」とお礼を言って部屋を出た。彼は「そう言っていただくと、こちらもうれしいです」と応え、「またご利用ください」と言った。 KNさんが通路1階の曲がり角、2階への階段の上り口下までこられて、「場所が分かりづらく、何度も前を、行ったり来たりしてしまい、遅くなった」と言った。私はわざわざのお迎えのお礼を言った。

 KNさんは、今まで暮らしていた実家から出て、購入したマンションへの引っ越しを10月6日日曜日にやったばかりで、その日から、今日10月13日日曜日まで、私を迎えるための部屋の準備をしたり、ある程度住めるようにしていたのだ。

 最低限であるけれども、部屋の片づけをしたり、ベツドの用意をしたりして大変だったらしい。引っ越しで右膝と、腰を痛めていたことを後で知った。

 駐車場までスーツケースを運んだ。(何か無理してKNさんが運んでくれたと思う。キャスター付きであるのでそんなに重くは感じないが)

 「そんな事情が最初から分かっていたら、全部自分で運んでいたよ、KNさん、最初から遠慮なく言ってくださいよ。私と君の仲ではないか。」今更日記を書きながら、心の中でつぶやく私であった。

 さてスーツケースをベンツのSUVに積んで、助手席に乗り込み、今日の旅がいよいよスタートした。待ちに待った、このために沖縄に来たのであった。

 これからが旅本番です。既にかなり疲れてはいたが、空元気だけはあった。天気は晴れ、絶好の旅日和。本日、私達がどこへ行くかは、全くKNさんに任せた。沖縄自動車道に入り、車は、北部へと向かった。

 ドライブの車中で、木曜日夜に、ペンションみなみの楽園で、話した続きのような話を、繰り返しになるが話した。KNさんは自分のことは何も話してくれないので、いつかは私に話してくれるだろうと思って、郵便局のこと、離婚のこと、42年前の真栄原に教区事務所があり、TH先生の下で働いたインターン時代のこと、32年前の辛い石垣の経験こと、八王子に帰って来て、昭和62年に9月15日に、子供2人を、自宅の前の道路に置いていき、乗ってきたタクシーで、前の家内は、そのまま去ってしまったこと。とにかく思いつく限りのすべての私の42年間の経験を、このドライブ中にできる限り話した。

 明日(月曜日の)のマンションのくつろぎの午後の時間にも同様な話をした。

 どこでどのように話したかは、あまりにも膨大な量なので、系統立てて記録することは出来ない。きっとKNさんも必ずや自分の辛い経験をいつかは私に打ち明けてくれる、期待を持って、まずは隠すことなく、自分のすべてを曝け出した。

 私は今回観光で沖縄に来たのではない、そんなことはある意味どうでも良い二次的なことだ。KNさんの話を親身になって聞き、悲しみ、苦しみを共にするために来たのです。『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。』(ローマ12:15)

 車は、漢那ダムの素晴らしい景色、公園、湿地帯のある所に着いた。KNさんは右膝が痛いのを、無理して、かなりの距離を歩きながら、自然界を案内してくれた。トンボが飛んでいるので有名な、湿地帯も案内された。天気は良く、陽射しは強く、2人とも帽子をかぶった。色々なところで写真を撮り、デジカメなので編集して、グーグルフォトに落とし込み、ラインで、KNさんに送る予定です。

 何か、この静かな所へ、一緒に祈りに来る、女性の友達がいるとのことでした。彼は離婚して、約20年、独り身でいる。もしその女性とうまくいくなら、どんなに幸せなことだろう。私69歳、再婚である。KNさん64歳、現在歯科医院を経営している。八王子に帰ってからも、彼が良い人生のパートナーに出会えるように、熱意を持って祈るつもりです。

 車は今帰仁近くの古宇利島に到着した。途中、古宇利大橋を渡る手前の、屋我地島の展望台から見る景色は最高であった。まだこの時期、静かな島影の湾では、泳いでいる人がいるのを見かけた。

 古宇利島では、貝殻博物館に、自動カートに乗せられて案内してもらった。良く考えると、ここまで何も食べずに来ている。途中コンビニでアイスクリームを買って食べただけです。KNさんは、余程、お腹が空いていたのであろう。貝殻博物館のお土産売り場の試食品のお菓子をつまんでおられた。私は間食はしない主義なので何もつままなかった。

 その後、もう午後4時近くになっていたが、沖縄そばで有名な、うぶや(大家)に案内された。ここでも自動カートで行きも帰りも楽が出来た。両側面が、崖で、谷底のようなところに大家はあった。下に小川が流れ、人工的だろうか、両側面の崖から、小さな滝が流れ落ち、夏でも涼しいようなところに大家は建っていた。ところで、谷底まで降りる自動カートの、受付管理をしていたのが、三育学院のカッレジ寮で良く話をしていた、Mさんであった。約44年ぶりの再会です。

 Mさんはカレッジの敷地に隣接してあった三育フーズで働いていたが、カッレジの私達の寮によく遊びに来ていた。短大の英文科に入ったこともあるが、途中でやめたらしい。

 最初、KNさんがMさんと呼び、KNさんと向こうから声がかる。「今日は珍しいお客を連れてきました、田中さんですよ」と紹介する。と彼は、懐かしさのあまり、感激しハグして来た。私はその時点で思い出すことが出来ず、顔を真近に、シゲシゲ見たが、まだ思い出さない。失礼になるので、話だけは合わせておいた。

 本来下りはカートに載せないで歩いてもらうということであったが、KNさんが膝が痛むので、下りもカートで行くこととした。そして歩きながらまだ誰だったか考えている。まだ思い出せない。そして下りのカートに乗りながら、KNさんから説明を受け、あの学院のキリスト教学科にいたT姉と結婚した、Mさんだと鮮明に思い出した。学院時代けっこう親しくしていたのだった。帰りに、登りのカートに乗って、降りたところに係のMさんがいたので、短い間だが彼と話ができた。

 自分が牧師をしたこと、故あって途中で辞め、郵便局長を約30年したことを話した。彼は今奥様と、八重岳に住んでいて、そこから大家に通い、ここでもうすでに2~3年働いている。奥様も元気だと言っていた。私が自分のことを「学院時代とプロポーションも変わってないでしょう」と言ったら、「少し太ったかな」と言われた。Mさんは痩せて、顔の形が変わり、おじいさん顔になり、私が44年前に知っているどちらかと言うとポッチャリした顔立ちで、色白の、目の大きいMさんの当時の顔とは、まだ、一致しないのです。

 言われてそうだから、言われなければもっとわからない。何でもお父さんが糖尿病で亡くなっているので、自分は食べ過ぎないように注意をしているそうだ。「食べすぎは罪である」と彼は、信念の人らしく言っていた。

 先に、下りのカートに乗るとき、Mさんの口から、「前は山本不二樹(ひでき)さんを案内して下さり、今回は田中さんを案内して下さって、KNさんありがとうございます。」と言っていた。それまで、SOSTVの日本支部長をやっている山本不二樹さんが、KNさんに会いに来たことは、彼が黙っているので知らなかった。何故そのことを私にKNさんが話してくれなかったのか、驚きであった。山本不二樹さんは、日本三育学院で、共に学んだこともあり、私の1年先輩である。

 KNさんがわざわざ案内してくれた、沖縄そばの名店、大家(うぶや)は、だしが良く効いた沖縄そばで、名護教会で昨日出された、沖縄そばより抜群美味しかった。

 大家で、また自分の身の上話を引き続きしてしまったので、時間はあっという間に立ち、もう周りには誰もいなくなってしまったので、席を立ち、帰ることとなった。半袖では寒いくらいだと食事中私が言ったので、KNさんが気を利かして、暖かい緑茶を注文してくれたが、夜眠れないと困るので飲まなかった。

 午後5時前、帰路に就いた。昨日もそうであったが、国道58号線は名護市内から渋滞しており、沖縄道に入るまで時間がかかった。

 KNさんのお母さん、SNさんにどうしてもお会いしたかったので、沖縄市の老人ホームに、夜に寄っていただくことにした。帰りの車中の話の中で、彼は、4~5日引っ越しで無理してひざを痛め、ここしばらく4~5時間しか寝ていないことが、初めて分かった。

 高速の運転中どうしても眠くなってしまい、KNさんの手をもんだり、指をもんだりしたが、眠気は去らず、事故を起こすよりは良いので、伊芸パーキングエリアに止め、仮眠してもらうことにした。

 私は邪魔になるといけないので、伊芸パーキングエリアのショップによって、帰りのお土産を11個買った。一個はSNさんのお土産にした。

 買い物が済んで、もう起きているか、車に様子を見に行くとまだ寝ている。4~5回見に行ってはショップ脇のベンチへ戻り、座って待った。ついに1時間ほどたってしまったので、もういいだろうと思って、まだ眠っていたが、申し訳ないと思いつつ、車のドアを開けて起こした。既に夜7時半くらいになっていた。

 そこから車を飛ばし、沖縄市の清潔で立派な老人介護施設に到着、午後8時30分頃であった。SNさんはもう寝ていて、部屋は真っ暗であった。

 KNさんが、部屋の電気を点灯させ、「お母さん、来たよ」と言って、起こした。 SNさんは今年97歳になられた。1年9ヶ月前に、実家でKNさんと弟のYNさんと暮らしていたが、階段から落ちて、大腿部を強打なさり、骨折はしなかったものの、それがきっかけで介護施設に入られた。

 沖縄市のこの施設から、5分くらいのところに、長女のR子さんが住んでおられ、2~3日に1回は見えられ、洗濯ものをしては、届けているそうである。KNさんは2週間に1回ほど見舞いに来られるが、ここのところ、引っ越し等で忙しく、3週間ぶりに来たそうだ。SNさんは頭もしっかりしており、目も良くて、裸眼で小さな字も読める。足は弱っているが、昼間なら手すりにつかまりながら、ゆっくり歩いてトイレには自分で行けるそうだ。夜は危険なので、ベッドの横に、簡易トイレが置かれている。自分で車椅子に乗って、帰りの私達を見送ってくれたほど元気だ。大きな声でお祈りが出来るし、毎日結構な量の日記を、筆ペン書きで付けている。色々なホーム内での催しには、挨拶をさせられるそうである。

 長男のKNさんが、一番頼りであり、今日来たこと、また私の紹介等、KNさんが書いておくと、それを普段は繰り返し読んでいるそうです。誕生日や、色々な機会に書いた、細かい字で書いてあるKNさんの手紙や、誕生日カード等のメッセージを全部とってあり、毎日それらを読んでいるそうだ。そうしていると、KNさんがそばに居るように感じられちっとも寂しくないそうです。

 日記の読めるところを少し読ませていただいたが、大変すばらしい信仰を持っておられ、常に主に感謝と賛美を祈りの中で捧げながら生きている。この母があって、KNさんのような信仰深い子供が生まれたんだなと、つくづく感じた。

 ただ、耳が遠いので、耳元で大きな声で話さないと、こちらの言うことが聞き取れない。KNさんが小豆にノートに文字にして書くのはそのためです。

 私は那覇教会で、生前の、お父さんのKNさんと、SNさんに、42年前にお会いしたことがあります。そのことは覚えていないようでしたが、「どちらの教会に居らしゃったのですか」とチャンと反応してくれました。私はその当時、「西原三育教会に居ました」と答えた。夜はもう9時も過ぎようとしているのだが、SNさんが次々と話すので、なかなか帰れない。KN さんは、「母はなるべく長く居て欲しくって、このようにしているのだ。」と言っていた。

 何とか別れの挨拶をして、介護施設を後にしたが、自力で部屋の車椅子に乗り、部屋の入口の外に出て、いつまでも見送っていた、SNさんでした。こんなふうに思い出して書いていると、何か目に涙が、滲んできてしまった。でもKNさんは、私がお母さんを訪問したことを心から喜んでくれた。私の母も93歳、後1か月と少し経てば、94歳になる。今は元気で、同居し、二世帯住宅で、玄関は一つであるが、完全に生活は別です。自分のことは料理から洗濯、風呂、部屋掃除まで何でも一人でやるが、やがてはこうなるのだと思うと、母の姿が二重写しになる。SNさんには、伊芸で買った、沖縄のお菓子、紫芋のお菓子を差し上げてきた。本土から持ってきたお土産は、もう配り切ってしまったので、月並みなものになってしまい申し訳なかった。

 夜9時半くらいか、KNさんが、10/6に引っ越したばかりの、マンションに着いた。セキュリティーのしっかりした、高級マンションです。

 夜は分からないが、そこから見る眺望は素晴らしいの一言です。海が見え、空港そのものは見えないが、低く飛んでいる飛行機が見れる。マンションの前は公園がある。またマンションの後ろには、高級住宅地が広がっている。かなりの高収入の人しかここには住めないそうです。

 私が泊り客、第一号だそうだ。必要最小限の物しかまだ出しておらず、段ボール箱に入った荷物が、うず高く積まれていた。

 玄関の鍵の開け方、締め方。客用寝室の照明の点け方、クーラーのスイッチの入れ方、シャワールームの使用法、用意してあるタオルの種類に至るまで説明を受けた。お互いにかなり疲れていたので、その日はシャワーを浴びて、早く寝た。それでも、寝付いたのは12時近くになってしまった。

 今から考えてみれば、このために彼は、準備をし、時間をかけて、睡眠時間を削って、やってくれていたのだと思い、本当に恐縮しています。今更になって気が付き、鈍い思いやりのない、私です。KNさん、ありがとうございました。 

 

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